ホームシック

植田紫帆(オダウエダ)

第1話 最古の家

家がとても好きだ。

 

見るのも好きだし居るのも大好きだ。

 

遠方の営業先に向かう車内で窓に映る住宅街を見てどんな人がどんな生活をしているか思いを馳せるのが好きで、

休みの日はずっと家に引き篭もっているのが最上の喜びである。

 

コンビ共々、家が大好き。

大好きすぎてどっちも不登校気味なぐらい家に取り憑かれてる。否、家に取り憑いてる。

 

こんな人間が死んだら家とかに住みつく地縛霊とかになるんだろうな。

コンビ共々、死なないように努めます。

 

 


そんな私ですが、実は生まれてこの方、10軒ほど引越しを経験しております。

 


これは多い方なんでしょうかね。

ちょっと改行した割にはそんなに多くない気もしますね。

葛飾北斎は90回以上引っ越しているわけですから、多いっていうなら1478回ぐらいしといて欲しいですね。

 

まぁ、してないよりよりは多いということでご勘弁を。

 

生まれは西は商いと笑いの街、大阪。

 

私そっくりの母親と私の膝小僧にそっくりの父親の間に私は生まれます。

 

最古の家の思い出で覚えていることはうっすらですがでかいカーペットの上に自分というものが存在していた記憶でしょうか。

後に当時の写真を初めて見た時に己という存在が小さいから大きく感じていただけと気づくのですが。

 

ここのマンションは私が2、3歳ぐらいで引っ越すことになるので本当に少ししか覚えておりませんが確実にいたことは確か。

写真がありますからな。

写真はすごい。事件に巻き込まれてた時は必ず現場の写真は撮っておきましょう。逆転裁判だと大切な証拠となります。

 

なぜ私が2、3歳ぐらいで引越ししたかと言いますと

私の下に弟が生まれたわけです。

 

父は当時、大手の企業に勤めておりまして単身赴任がなんとライオンキングの大地、アフリカになりまして、母一人で幼児を二人も見るのはえらいこっちゃと市内に住む母方の祖父母の家の近所に移り住もうとなったわけですな。

 

父と一緒にアフリカに行く可能性もあったみたいで、もしかすると私はアフリカNSCでガゼルとR&Bをやっていたかもしれないと考えると人生って無限大(現・渋谷よしもと漫才劇場)ですね。

 

脱線スマソ。

ということで2軒目の家に引っ越すのである。

 

2軒目はおばあちゃんおじいちゃんちの真横のマンションでした。

ぼんやりとした記憶なのですが

たぶん今もマンションや家が好きなのはこの辺りの記憶の破片から来てると思います。

 

子ども部屋も用意され、なんとなく父親の部屋というのもぼんやり覚えています。

年に数回帰ってくるたびにお土産を持って帰って和室には合わないアフリカの工芸品を飾っていました。

ストファイ2の銭湯ステージでダルシムが戦ってる感じです。

 

この頃からゲームにどっぷりハマり始めます。

幸い私には弟という身近なマッチ出来る相手であり、自分がプレイしてない時もゲームをやってくれる当時はまだなかった唯一のゲーム実況をしてくれる相手がいましたのでズブズブにハマりました。

ただストファイはやってなかったので、ストファイ知識は実技でなくTVで喋ってるのを聞いて座学で覚えました。

最初やったのはポケモンでした。

すみません、違いました。

「スーパーマリオランド2」でした。

キモいパチモンみたいなマリオでした。

(6つの金貨ファンの方々、大変申し訳ございません。しかしノコノコの細さ思い出してください。あれはなかなかのものでしょう)

当時は充電アダプターがないため単三電池をたくさん使うんですよね。

トイレでこっそり親の目を盗んでやっては単三をすぐ使えなくしたことが最初にやった悪いことだと思います。

その後、「ポケットモンスター赤・緑」ですね。

弟とやった思い出です。

 

その弟で思い出しました!

この辺りぐらいで急に弟という存在が出てきてめちゃくちゃびっくりしたんです。

 

自分が認識できていなかっただけですが、

隣になんとなくおるやつとでも思ってそんな気にしていなかったのでしょうか、

幼稚園の時にスキー合宿というものがあり

それから家に帰ってきて、お母さんとスキー合宿の話をしていたら一緒に輪の中で話している男がいまして

 

「なんやこいつ⁉ 家に普通におるけど⁉

あ! この存在が弟かいな! よろしゅうな!」

 

と思ったのを鮮明に思い出しました。

兄弟姉妹がいる方に聞きたいのですが、最初の認識の仕方これで合ってます???

是非貴方の認識初め、聞かせていただきたいです。

 

そんな感じでオカンとウチと弟、めっっっちゃたまに、オトンの2軒目の家の生活が始まるのです。


(つづく)