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ショートショートトーキョー

ファビアン(あわよくば)
第3話 レッツ・スクランブル
またうまくいかなかった……。
自分が嫌になり、泣きそうになりながら道玄坂を下る。おまけにお腹が痛い。極度の緊張で自律神経が乱れていたことが原因だろう。これまで何度も経験してきた腹痛だ。会場のあったビルでトイレに行っておけばよかった。
いや……。
そんな余裕はなかったじゃないか。自分の不甲斐なさと惨めさに耐えきれず、一目散に会場をあとにしたのだから。
先週受けた会社のグループディスカッションでは全く喋れなかった。その経験から、家でたくさんイメージトレーニングを重ねた。本も読み、動画も見た。吃りながらだけど、喋る練習もした。猫背を伸ばして堂々と振る舞うことも意識した。それなのに、今日受けた会社のグループディスカッションでもほとんど発言することができなかった。
全員がそれぞれ意見を述べる時間には前の誰かが喋ったようなことを言い、その後のディスカッションでは肯定を意味する頷きと微笑みでやり過ごした。
「棚毛くんはどう思う?」
そんなふうに急に話を振られたらどうしようと、手に汗を握りながら、終始ビクビクしていた。
そして最後の発表の時間、僕はグループみんなの後ろで立っていただけ。まるで地蔵だ。誰からも感謝されない地蔵。
だいたい『スマートシティが実現した場合における弊社プロダクトの活用の仕方』だなんてテーマが難しいんだよ。まだ御社のこと知らないよ。
でもみんな、ちゃんと調べてきてたな。
要するに、僕は勇気も知識も足りなかった。
人前は苦手だ。
勉強も苦手だ。
要領も悪く、優先順位をつけるのも苦手だ。
何をやってもうまくいかない。
後悔しながら道玄坂を下りきり、ロッテリア前の横断歩道を渡った。
【半熟月見 絶品チーズバーガー発売】
そんなデジタルサイネージを見て、九月の中旬になったことを自覚した。十月一日の内定式までにどこかの企業から内定をもらうには、もう間に合わないだろう。
果たして僕は就職できるのだろうか。
願わくば、誰とも喋らず、それでいて誰にも迷惑をかけず、単純作業に打ち込めるような職に就きたい。
便意のビックウェーブが来た。
ほんとに、うんこして来たらよかった。
今さっき道玄坂の途中で会場に引き返し、トイレを借りるべきだった。
もう我慢できない。このままスクランブル交差点を横断したところで、駅のどこにトイレがあるかわからない。しかし渡るしかない。
落ち着け、落ち着くんだ。
ふーーー。
一旦深呼吸してから、お尻の筋肉に力を入れてなんとか便を体内へ押し戻した。体は冷や汗に包まれていた。
渋谷。
自分に合わないことは分かっていたが、つくづく嫌いな街だ。
ほら、いつもの謎の異臭がしてきた。昔から渋谷を歩くと鼻が歪むほどのくさい匂いに出くわす。ガスのような、腐敗臭のような。理由はわからない。地下を流れている渋谷川が腐っているんじゃないか。くっさ。
信号は青に変わった。
一歩踏み出したところで、太ったネズミが目の前を横切った。驚き、足が止まる。
それでもなんとか渋谷駅にたどり着こうと、再びスクランブル交差点に足を踏み入れた。
一歩、二歩、三歩、漏れるなよ、四歩、五歩。
そのとき目の前を歩いていたおっさんが急に立ち止まり、何かを思い出したかのように引き返してきた。なんでだよ。僕はおっさんと、渋谷駅側から押し寄せた人混みに飲み込まれ、元いた場所に戻ってしまったのだった。なんでこんな目に遭わないといけないんだよ。
またビックウェーブが来た。
就職できないのは仕方ないとして、上手くトイレくらいさせてくれ。もう無理だ。
右手で尻を押さえながら、後ろのビルに駆け込んだ。運良く、エレベーターは一階で止まっていた。
一階から三階はL'OCCITANEと書かれている。なんて読むんだよ。
その上も、その上も、ビルはテナントだらけ。
つまりその数だけトイレがあるということだ。
助かった。
安堵からか、また少し便意が落ち着く。
僕はしらみ潰しにあたろうと最上階のボタンを押した。低層階には僕みたいなトイレ利用者がいて使えないパターンがあるからだ。
到着したのは、しゃぶしゃぶ屋だった。
「さささ、先にトイレ貸してください」
店員にそう告げてトイレに向かう。もちろん食事をする気はない。
結果、撃沈。
鍵がかかっていた。
そこでトイレの横にドアがあることに気がついた。
咄嗟にドアを開け、非常階段を登る。
今だ、今しかないんだ。
落ち着いている間になんとかトイレを済まさないと本当に漏れてしまう。渋谷の高いところから、さらに高いところへ運ばれる僕のうんこ。
上の階にたどり着きドアを開けると、すぐにトイレを発見した。鍵は空いている。チャンス。
僕はドアを開け、なんとか用を足すことができた。
タオルで汗を拭いていると、咆哮のようなものが聞こえてきた。体育会系の部活が得点を決めた時のような雄叫び。「うおおおお。すげええええ」と、大勢が熱狂している歓声。
ハイテンション、アゲアゲ、イケイケ。最高潮の盛り上がり。そんな渋谷という街を形容するにふさわしい雰囲気がトイレの個室まで届いていた。
なんの店だ?
スポーツバーでもあるのだろうか?
不思議に思いながら洗面所で手を洗う。
先程は気が付かなかったが、トイレから出ると右側に真っ黒の自動ドアがあった。ハイテンションの現場はこの中だろう。
僕はなにかに背中を押されたように自動ドアの【PUSH】ボタンを押した。
人が宙を舞っていた。
だだっ広い部屋の中、胴上げが行われていたのだ。
「おめでとう」
「やったな」
そこにいたみんなが口々にチェック柄のシャツを着た若者を祝福していた。彼はどう見ても渋谷という街には馴染まない、パッとしない風貌だった。メガネで、少しニキビがあって、スポーツ刈り寄りの坊主で、背がヒョロ高くて、安そうなジーパンが似合ってなくて……まるで僕のようだ。
祝福しているのは合計三十人ほどで、ほとんどが真面目そうな若者だった。彼らがスポーツバーのような盛り上がり方をしていたなんて信じがたい。そのほか、部屋の端の方には、これまた真面目そうな年配の方がちらほらいて、拍手を送っていた。
部屋はまるで重要な施設の監視ルームやコントロールセンターといった感じで、巨大なモニター三台と、それを取り囲むように複数の小モニターが設置されていた。その後ろには机と椅子が三列並び、各席にはノートパソコンが置かれている。何の施設だろう。
「はい、次、始まるよー」
年配の女性が告げると、胴上げを行っていたメンバーはそれぞれ席に着いた。いったい何が行われるのか。
「マリ、頑張って」
そんな声も聞こえる。
真ん中のモニターに映し出されたのは、スクランブル交差点の様子だった。交差点に差し掛かった車が四方八方に散らばっていく。
左のモニターでは【20、19、18、17……】と数字がカウントダウンされている。
右のモニターにはSHIBUYA TSUTAYAやスターバックスコーヒーの入っているビルから見たスクランブル交差点の様子が、複数の小さいモニターにはいろいろな角度から撮影されたスクランブル交差点が映し出されていた。
ここが何をするための部屋なのか想像がつかない。
【5、4、3】
いよいよ何かが起きそうだ。
【2、1】
「レッツ・スクランブル!」
部屋の誰もが声を張り上げた。
カウントダウンが行われていたモニターも、スクランブル交差点の様子に切り替わる。
巨大モニターの前には一人の女性が座っていて、何やら肩を震わせ始めた。あれがマリだろうか。みんながその女性を見守っている様子で、時折「おおっ」だの「左、左」だの声をあげる。
「君は誰?」
急に話しかけてきたのは、先程胴上げをされていたチェック柄のシャツの男だった。気がつくと横に立っていた。
「ここは何かの会社ですか?」
「質問しているのはこっちです。どうやってここに来たのですか?」
「え、えーと……」
確かに不法侵入だ。トイレを我慢できそうになかったとはいえ、エレベーターで最上階まで上がり、さらに非常階段を登って勝手にドアを……。
え?
そこで初めておかしなことが起きているのに気がついた。
エレベーターのボタンは九階までしか存在していなかったのに、そこからさらに階段を登ったのだ。つまり十階に位置するこのフロアは、人の目から隠されているということになる。
「聞いてますか?」
「あ。しし就職の面接を受けてぇ、終わってぇ、坂降りてぇ、トイレしたくなったけん、渋谷駅に行こうとしたらぁ、交差点渡れなくてぇ……」
「もういい、わかりました」
上手く説明できていたつもりだったけれど、言葉を遮られた。
「君、四国出身ですね? 関西弁のようなイントネーションで『けん』とか言ってるのは四国でしょう。広島とはちょっと違います」
言い当てられたことにドキリとした。僕はあまりにも緊張した中で何かを喋るとき、吃って、方言が出てしまう。上京してから頑張って標準語を身につけたというのに。
「どこですか? 四国の」
「ええ愛媛です」
「ほんまに? ビンゴ。僕も。あっ、矢野です」
まさかの同郷出身者だった。心が高鳴る。僕にとって、東京で出会った初めての愛媛人だ。
矢野さんはくしゃっと笑って、手を差し出した。
「ぼ僕は、棚毛です」
自己紹介をして、手を握り返した。
「たな、け? たなかじゃなくてですか?」
「はい。すみません」
「謝まらんでええけん」
話してみると、なんと矢野さんは隣の高校の一学年上の先輩だった。中学も隣で、家は僕と同じで道後温泉の近く。同じラウンドワンで遊んだりしていたそうだ。一浪して都内の大学に入ったらしく、今は同じ学年だという。僕と同じで就職はまだ決まってないらしい。
「お疲れ様!」
「マリおつかれ〜」
「上手くなったねえ、ほんと」
矢野さんと喋っていると、何かがひと段落したらしく、みんな席から立ち上がって巨大モニター前の女性に声をかけ始めた。矢野さんも「マリさん、ナイス」と声をあげ、手を叩いた。
左のモニターでは【120、119、118、117……】と、再びカウントダウンが始まった。
「ここはね、ゲームセンターです」
「え?」
「正確にはゲームセンター、みたいなところ、かな」
懐かしいその響きに心が持っていかれる。松山でもたくさん遊んだ。
子供の頃から何を一番やってきたのかと問われたら、ゲームと答える。格闘ゲーム、メダルゲーム、シューティング、太鼓たたき、レーシング、クイズ、競馬、UFOキャッチャー……これまで色々なゲームにハマり、自分なりに極めてきたつもりだ。
「近くで見ますか?」
矢野さんはそう言って、マリという女性の隣まで連れて行ってくれた。数人が僕を見て「誰?」と反応したのに、矢野さんが「地元の友達です」と誤魔化した。
マリという女性は、アーケードコントローラーを握っていた。ゲームセンターで格ゲーをするときに使うもので、左がスティック、右がボタンになっている。
左のモニターには再び【5、4、3、2、1】と表示され、ゼロと同時に「レッツ・スクランブル!」と声が響いた。
巨大モニターに映るスクランブル交差点は歩行者用の青に変わり、人の往来が始まった。
マリという女性は見事な手捌きで、コントローラーを操作し始めた。しかし巨大モニターを眺めていても、何が起きているのかさっぱり理解できなかった。
信号が点滅し、赤に変わる。
再び、左のモニターでは【120、119、118、117……】と数字がカウントダウンされ始めた。
マリという女性はコントローラーを手放し、唇を噛み締めた。表情から悔しさが滲み出ている。
室内からも落胆の雰囲気を感じとった。先ほどは上手くいったけれど、今回は失敗したようだ。
「やってみますか?」
矢野さんはニコニコしながらノートパソコンを持ってきた。
写っていたのは、バーチャルのスクランブル交差点だった。
キーボードの上下左右の矢印を押すと、手前にいる人間を動かせることを教えてくれた。つまりゲーム上での僕にあたる。
僕はこのビルの下、つまりL'OCCITANEの前で信号を待っている。矢野さん曰く、ロクシタンと読むらしい。
「これは練習です。信号が青の間に、プレイヤーを反対側まで渡らせてください」
「斜め向こうの天津甘栗と書かれたビルのところですか?」
「そうです」
簡単そうだ。
信号が青に変わると、上ボタンを押して人間を動かす。素早く二回押すと少し速くなった。早歩きもできるのか。
キーボードの他のボタンを押すと、くるりと回ったり、ジャンプしたりすることもできた。
僕はプレイヤーが人とぶつかりそうになったら左右に交わしながら、青の点滅が始まる前に交差点を渡り切った。
「上手ですね。少しレベルを上げますか?」
久しぶりに人に褒めてもらえて嬉しかった。
ゲーム上の僕はすでにロクシタンの前に戻っている。
第二ラウンド。
再び信号が青に変わる。上ボタンを押して僕を動かすと、なんとネズミが僕の前を横切った。慌てて急停止する。
「あっぶ」
思わず声が出た。
おそるおそる歩みを進める。
今度は目の前を歩いていたおっさんが急に立ち止まり、引き返してきた。奥からはさらに人混みが押し寄せてくる。さっき実際に味わったのと同じシチュエーションだ。
僕は左に直角に移動することでなんとか交わして、すぐに右に直角に曲がってゴールを目指した。なんとか青の点滅が終わる前に渡り切ることができた。
少し手汗をかいてしまった。意外と難しいゲームだな。
「これを実際にやっているんです」
「え?」
「実は交差点で待っている人間のなかに一体、アンドロイドがいます。それをコントロールして、スクランブル交差点の反対側まで渡らせるゲームをしているんです」
「え、じゃあさっきマリさんがやっていたのも?」
「はい。人を避けながら進むゲームです。二回目は通行人に三度ぶつかり、青の点滅が消えるまでにギリギリ間に合わなかったので、減点されてしまいました」
「減点……」
「ちなみに、好みでVRゴーグルを装着して、アンドロイド目線で楽しむこともできます。その場合は顔の角度もコントロールしないといけなくなるので、地面に空き缶などがあれば避けるのが難しくなってしまいますが」
「でも……、単純なこと聞きますけど、わざわざゲームとして楽しまなくても、実際にスクランブル交差点を渡ればよくないですか? 自分の身を持って、人を交わして、向こう側まで辿り着けば」
いつの間にか自分がすらすら喋れていることに気が付いた。子供の頃からゲームのことになれば、友達と積極的に会話できたし、自分の意見も言えた。
「棚毛君のいう通り、これはゲームです。私が考えるに、ゲームの醍醐味というのは、リアルでは味わえないものが体験できること」
「味わえないもの?」
「今、棚毛君がプレイしたのはクロッシングモード。Crossing=渡るという意味です。もちろん攻めがあれば、守りがあり、攻守は交代します。つまり敵がいるということです。相手はコンピュータじゃないですよ。あれを見てください」
指された方の小モニターをみると、アルファベットが並んでいた。
【Crossing】
1:SKY
2:SEB
3:TSD
4:QFRONT
5:MAG
「実は、ゲームセンターがあるのはこのビルだけではありません。現在一位の『SKY』は渋谷スカイチーム。スクランブルスクエアから参加しています。二位『SEB』は渋谷駅前ビルチーム。つまり、ここです。先ほど私が四年ぶりの一位を奪還して胴上げしてもらったのですが、今またスカイに抜かれてしまったので、再び引きずり下ろしてやります」
矢野さんは自信に満ちた様子で、メガネをクイッと上げた。このゲームセンターのエースなのかもしれない。
「三位『TSD』は大盛堂商事ビルチーム。センター街入り口の本屋があるビルです。四位QFRONTはSHIBUYA TSUTAYAの入っているビル。五位MAGは、ちょうど向かいの天津甘栗の入っているMAGNET by SHIBUYA 109。上層階から渋谷スクランブル交差点を見下ろすことができる五つのビルが互いにゲームのスコアで競っているんです」
あまりにも現実的じゃない話が飛び込んできて、理解がついていかない。
「攻守が後退するということは、クロッシングモード以外にも、モードがあるということですね?」
「さすが。良いことに気が付く。オブストラクトモードがあります。Obstruct=邪魔をするという意味です」
「まさか……」
「ええ。物理的に邪魔をしています。急な立ち止まり、ターンして引き返し、ぶつかり、徐行、ダッシュ、ネズミ、嫌な匂い、クラクション、叫び、渋谷を歩いていると定期的にこんなものを目撃しませんか?」
矢野さんがそう説明したとき、先ほどの小モニターの表示が変わった。
【Obstruct】
1:SKY
2:QFRONT
3:MAG
4:SEB
5:TSD
この渋谷駅前ビルは四位だ。
そしてまたしても一位はスクランブルスクエア。そんなに良いプレイヤーが揃っているのだろうか。
「どっちのモードが自分に向いていると思いますか?」
「まだわかりません。プレイしてみないからには」
「ではさっそく、オブストラクトモードにも挑戦してみましょう。一般人の通行の邪魔をしたらポイントが下がるので注意してくださいね」
再びノートパソコンに向かう。
左側の「QWEASD」のキーボードのボタンがアーケードコントローラーの六つのボタンに対応しているらしい。
「レッツ・スクランブル!」
ゲームが始まり、Qボタンを押すと画面上をネズミが走った。Wを押すと交差点内の男が立ち止まる。なるほど、面白い。
現在の仮想敵は渋谷スカイチームで、渋谷駅からTSUTAYAの方に渡っていた。僕は彼に向かって様々な攻撃を仕掛けた。
しかし見事に交わされ、相手にゴールを許してしまう。
「なぜ、格ゲーのようなコントローラーを使っていると思いますか?」
みなまでいわない矢野さんからのアドバイス。少し考えてその意図が理解できた。
「レッツ・スクランブル!」
第二ラウンドが始まる。今度仮想敵はMAGチーム。天津甘栗の看板の方からこちらへ向かってくる。
僕は素早くコマンド入力を試す。
【↓↘→+ネズミ】
東西南北から四匹のネズミが走り抜け、相手の足が止まる。画面下にはゲージのようなものがあり、それが貯まらないと次のネズミ攻撃はできないようだ。
【→↘↓↙←+徐行】
徒党を組んだかのように、女子高生四人が距離を縮めて壁を作った。敵はその間を割って通ることができず、大回りを強いられた。
【↓タメ↑+叫び】
「引ったくり!」と画面上に吹き出しが表示され、敵は思わず反応する。その間に通行人の波に飲み込まれた。じきに信号が点滅から赤に変わり、車の往来が始まった。クラクションが鳴り響く。
相手をこちら側まで辿り着かせず、元いた場所へ戻すことに成功した。
矢野さんが拍手を送ってくれた。
「君、本当に初めて?」
「もちろんです。格ゲーにはかなりハマりましたが」
「すごくうまいです。技を繰り出すタイミング、コマンド入力の正確さ、センスを感じました。僕が見てきた初心者の方の中で、飛び抜けています」
そんなに褒めてもらえるとは。
格ゲーでありがちなコマンド入力を試しただけなのに。
「渋谷に留まらず、東京の象徴であるスクランブル交差点は、一回の青信号で多い時には約三千人が通行するんですよ。しかも文字通りスクランブル。ごちゃ混ぜ。交通の秩序が破壊されたかのように、縦横無尽に人が行き交います。初心者の方は敵を見失わないようにするだけでも大変です」
言われてみればそうかもしれない。意識せずともなぜか見失わなかった。
「約三千人の中には、もちろん用意されたアンドロイドがたくさんいます。オブストラクトモードの本番は彼らをどのように配置するかも試されます。百二十秒の赤信号の間に、交差点手前で配列を整えます。今はデフォルトでプレイしてもらいましたが、とてもうまくいきましたね」
「配列って、サッカーでいう4−4−2みたいな」
「そんなイメージで大丈夫です。ちなみにネズミもアンドロイドで、交差点脇の見えないところで待機しています」
どうやって出現させているんだろうと不思議だったけれど、まさかネズミまで作り物だとは思わなかった。
「どっちのモードが自分に向いていると思いますか?」
「うーん。クロッシング、ですかね」
「え? こんなにオブストラクト上手くいったのに?」「いや、なんか誰かの邪魔をするオブストラクトより、ただひたすらに障害物を交わして進む方が好き、というかそう在りたいというか」
「またまた」
「え?」
「コマンド入力をしているとき、顔つきが変わっとったけん。スピード狂がハンドル握った時のように。魂を込めた妨害やったよ」
伊予弁で優しく絶賛してくれた。
「棚毛君、炙り出されとったよ。自分の本当の人間性が。ゲームってそういうとこあるから」
昔から、ゲームをしていると、相手にただ勝ちたい一心でとんでもない集中力を発揮することがあった。特にクラスのいじめっ子や、ゲームセンターで年上と対戦する時には燃えたものだ。
「不器用に生きることしかできないけれど、その中には沸々とした闘志を秘めている。そんな棚毛君は、このゲームセンターに合ってると思う」
矢野さんは最後に「僕と似ていて」と付け足した。わかりやすく色々なことを説明してくれた矢野さんもここ以外では苦労をしてきたのかもしれない。ゲームの説明は頭脳明晰にできていたけれど。
それから実際にクロッシング、オブストラクトをプレイさせてもらったが、シミュレーションのように上手くは行かなかった。ただ、現実空間の中で行うゲームに高揚感を覚えた。
「また来ていいですか?」
「もちろん」
僕は『レッツ・スクランブル』にハマってしまいそうな予感がしていた。
翌日は丸の内と新橋で就職面接があったので、渋谷に来る時間はなかった。グループディスカッションではなかったので喋ることはできたけれど、内定につながりそうな手応えを得ることはできなかった。
そして次の日から僕は、渋谷駅前ビルに通い詰めることになった。
自分の番が来るまでシミュレーションで練習し、本番に臨んだ。クロッシングモードでは相手の攻撃の交わし方を徹底的に攻略し、オブストラクトモードではコマンド入力の必殺技や、ネズミ→ぶつかり→ネズミ→必殺技など、相手が防ぎきれないコンボ連打の開発に取り組んだ。「スティック一回転+ネズミ」コマンドで、カラスを出現させることもできた。
イレギュラーに救急車やパトカーが通過することにも臨機応変に対応した。
もちろん帰宅した後も家でイメージトレーニングに励んだ。
自分の性格はわかっている。極め尽くすまでやってしまう。ドラゴンクエストはレベル99まで、鉄拳などの格闘ゲームは手に豆ができて潰れるまで打ち込んだ。ゲームに関しては、誰にも負けたくないというプライドが誰よりも強かった。
僕は一週間もすると渋谷駅前ビルチームの戦力として数えられるようになっていた。徐々に友達もできて、戦略を議論したり、たわいもない話をできるようになった。
技術面でもメンタル面でも、全てのゲームの経験が素養になっていたんだと思う。僕はその片鱗を初日の時点で持ち合わせていたのかもしれない。
初日と変わったのは一つだけだった。
矢野さんが来なくなったこと。
他のメンバーに聞いてみると「辞めた」「就職が決まってインターンが始まった」と教えてもらった。僕は、成長した姿を矢野さんにみてもらいたかったけれど、叶わなかった。
それより「自分と似てる」と言っていたのに、就職が決まっただなんて、結局はうまくいく側の人間だったんだと悲しくなった。
それからも僕は渋谷に通い続けた。これから年末にかけてゲームの難易度は格段に増すらしい。十月末にはハロウィンがあり、十二月にはクリスマス、大晦日、正月と人がごった返すイベントが多いからだ。クロッシングの難易度は格段に上がり、オブストラクトでは一般人の邪魔をしてしまうリスクが倍増した。
僕はイベントに向けてトレーニングに励んだ。雨の日も台風の日も渋谷に通った。
だんだん自分のプレイスタイルに変化が出てきたことに気がついた。やっぱり僕が得意なのはクロッシングだった。ある程度、人の流れや攻撃方法をパターン化できるオブストラクトは臨機応変さに欠け、だんだんアドレナリンが出なくなっていた。
また親からの「就職はどうするの?」という声も痛かった。どこからも内定をもらえていない現状で、こんなことしている暇はない。それはわかっているのに現実逃避をするように渋谷に通っていた。ゲームにハマっただけではなく、自分の将来なんてどうにでもなっちまえと自暴自棄的な気持ちもあった。
ゲームなんてなんの意味もないのに。
こんなゲーム、いくら上手くなっても生活できないのに。
昔、メダルゲームにハマっていた時、父親に怒られたのが脳裏に浮かぶ。「メダルゲームなんて辞めろ。換金できないんだから」と罵られ、翌日、パチンコ屋に連れて行かれた。「これは頑張ったら金になるぞ」と言って、親父は笑った。
それでも、せめて自分のクロッシングを極めてから辞めようと、僕は渋谷に通い続けた。
年が明け、三が日が終わった。
僕は矢野さんと同じく宙に舞っていた。
ハロウィンではあまり上手くいかなかったけれど、その反省を生かしてクリスマス、大晦日、正月の怒涛の三連イベントではしっかり役目を果たすことができた。
僕のクロッシングはもはや誰にも止められなかった。十二月の中旬から、三が日が終わるまで、誰にも触れられることなく、どんなオブストラクトも受けず、プレイし続けた。僕の操作するアンドロイドは、ラグビーのウイング選手のようにステップを踏み、敵や一般人を交わし続けた。その結果、クロッシングではランキング一位に返り咲いた。また仲間の頑張りもあり、オブストラクトでも二位までランキングが上昇した。こんなことは渋谷駅前ビルのゲームセンターが開業して以来、初めてだという。自分がその瞬間に立ち会えたことが嬉しい。ゲームを通して誰かを喜ばすことができたのは初めてだった。
いつもゲームセンターの端にいる年配の方に話しかけられたのは、翌日だった。
「棚毛さん、おめでとうございます。スカウトが届いています」
「え? スカウト?」
「はい。こちらへ」
年配の方が後ろの壁を押すと、取手も何もないドアが開いた。こんなところに小部屋があったなんて知らなかった。
中に待っていたのはスーツ姿の男性だった。
「今年は優秀な人を採用できたはずだったんだけど、急に内定を辞退されてしまってね。それに、君の評判があまりに良いから」
男性はそう言って、名刺を渡してきた。肩書きの部分には「航空保安職員」と書かれ、名前の隣には緑の銀杏マークが印刷されていた。
このロゴはゲームセンター内の至る所で見るし、ほかでも見た記憶があるけれど、何を表すのかわかっていなかった。よく考えたらゲームセンター内の年配の方が着ているナイロンジャケットにもプリントされていた。
「どう、航空管制官の仕事に興味はありますか?」
「いや、ちょっと話が見えなくて」
僕が戸惑った表情を見せると、男性は優しく説明してくれた。
「東京で最も混雑するのはどこだと思いますか?」
「そりゃ、スクランブル交差点」
「正解です。では混雑が命に関わるのは?」
「えー、と」
男性は上を指さした。
「羽田上空です。あまりにも飛行機が多すぎる。それでいて天候や便の遅れなど、どんなイレギュラーな状況にも対応して、スムーズに離着陸することが求められる仕事です」
「はあ」
「毎年、ここで優秀な人材をスカウトしているんですよ。スクランブル交差点であらゆる状況に対応しながら人混みをすり抜けられる技術を持った、プレイヤー操作に長けた人材を」
「ここって、ゲームセンターじゃ?」
「ゲームセンターですよ。都営のね」
「都営……?」
信じられなかった。矢野さんと地元に縁があって、そのよしみで仲間に引き入れてもらい、ひたすらゲームに打ち込んできただけなのに。東京都が運営する施設だったとは。
「つまり就職すると、東京都の公務員に?」
「そういうことです」
思ってもみないチャンスが転がり込んできた。敵に勝ちたいのと、仲間を喜ばせたい一心で、ゲームにひたすら熱中してきただけなのに。ゲームに未来あるじゃねえかよ。親父、ゲームに未来あったぞ。
僕は「よろしくお願い致します」と、お辞儀をした。こんなにハキハキと返事をし、テキパキと動けたのは人生で初めてかもしれない。
「こちらこそ」
男性はそう言って、分厚い手を差し出してくれた。僕は涙を浮かべて握り返した。
就職が、決まった。
「僕、渋谷という街には全く馴染めてないと思うんですけど、東京も合わなくて」
初日に矢野さんにそんなふうに打ち明けたのを思い出す。
「僕もだよ。このゲームセンターがないと正気を保てなかった」
「本当は、早く東京の人になりたかったんです。地元でも馴染めなくて、友達もいなくて毎日ゲームばっかりしていて。でも東京初日というか、飛行機で着陸した後に、ああダメかもと思ったんですよね」
「なんで?」
「東京モノレールから、大きなポンジュースの看板見えるじゃないですか。せっかく東京に来たのに、すぐに愛媛が目に飛び込んできて。お前を東京に行かせないぞ、垢抜けたりさせないぞって。そんな風に言われている気がして」
「えー、僕は逆で、あの看板を見かけて素直に嬉しかったんだよね。愛媛の人や企業が東京で頑張っている証だと思って。愛媛で育ってもあんな大きな看板出せるぞって、田舎育ちでも東京で通用するぞってメッセージに見えたよ」
そんな捉え方をできていることに感銘を受けた。でも今なら矢野さんの方が正しかったような気がする。
矢野さんは「君も友達を見つけて、ここに通ったらいいよ。少なくとも僕はいるからさ」と続けた。
この時点では、自分が辞めるつもりはなかったのだろう。翌日、僕が丸の内で面接をしていた日にスカウトされたのかもしれない。
確か、内定者インターンに参加していると噂になっていたはずだ。羽田の管制官になれば、矢野さんとの再会も叶うのか?
いや、先ほど内定を辞退したと言ってたような。
「あの、僕の前にスカウトされたのって矢野さんですよね? 僕にとって心の支えのような人で。インターン辞めちゃったんですか?」
「ああ。矢野くんのこと知ってたんだね。辞退というか、腕前を買われて引き抜かれちゃったんだよ。優秀だから」
「引き抜き? どこにですか?」
「ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港。世界一、混雑する空に」
こうして僕は今、羽田空港の航空管制官として働いている。
「レッツ・スクランブル」
それは社会に混じるためのおまじないのような言葉だったのかもしれない。
羽田上空をスクランブルさせないように、今日も業務に精を出そうと思う。
※次回の更新は、2025年1月24日(金)の予定です。