ショートショートトーキョー

ファビアン(あわよくば)

第2話 うびるとさびる

 東京都庁が好きだ。

 まずフォルムが格好良い。ツインタワーは互いに自立した大人の双子のようで素敵だし、タワーを支える下層はたくましい男の人の胸板のようでそそられる。

 新宿にあるのに、新宿駅からまあまあ遠いのも良い。ラスボスのさらに奥に隠されたボスのようで存在にロマンを感じる。周りを高いビルに囲まれているのも、裏ボスを守るために側近が忠誠を誓っているようでうっとりする。

 公の中の公の建物だから、認められている感がするのもまた良い。というか、かなり認められている。

 我こそが東京都なり。

 そんな威風堂々とした佇まいと、存在感と、公共物であることに惹かれるのだ。

 そんな憧れの都庁に、私はまだ行ったことがない。

 というか住民票の発行など、私に必要な用事は基本的に区役所で済ませられるので行く用事がない。

 都庁と比べて私は、格好良くもないし、素敵でもないし、そそられもしないし、ロマンもないし、うっとりもしないし、小学校から大学まで私立に通ってきたので公に認められてもいない気さえするし、なんだか悔しい。

 少しでも都庁に近づきたい。

 ということで、母とのランチの待ち合わせには、東京都庁を指定した。

 母は午前中にパスポートを更新する予定があるらしい。西葛西の実家からは有楽町のパスポートセンターの方が近いのだけれど、「都庁にもあるじゃん」とわざわざ新宿まで呼びだした。

 吉祥寺から電車に乗り、新宿で降りる。西口の地下改札を出て、味気のない地下通路をしばらく歩いて地上へ出ると、圧巻の光景が待っていた。

 かっけー。

 間近で見る都庁は大迫力だった。243メートルのツインタワーも、短冊切りのように切り刻まれた縦長の窓も、あまりにもスタイリッシュで頭がくらくらする。これから好きなタイプを聞かれたら「東京都庁みたいな人」と答えよう。そうしよう。


 ふと、周囲を見渡すと、多くの人が笑っていることに気がついた。

 立ち止まってニヤニヤしている人、思わず口を押さえている人、笑いを噛み殺している人。「そんなに笑う?」と聞きたくなるくらい手を叩いて爆笑している人もいる。

 わかるよ。圧倒された時って笑っちゃうんだよね。何をしても敵わないって思うと、笑うしかないんだよ。うーわ、私と全然違うじゃんって、焦りと悔しさと憧れがぐちゃぐちゃになって押し寄せて、笑いながら手が震えてくる。震えたまま都庁をカメラでとって、自分の写真と交互に見比べて、あっちゃ〜こんなに違うかと笑う。

いけない。

「美祐(みゆう)、冷静になりな。あんたは暴走しがちだから」

 母からよく言われた言葉を思い出す。姉からは「主観で生きすぎ」だとも言われた。何が悪いかわからないけれど、私は一つの事に集中していると、周りが見えなくなっているらしい。

 少し冷静になると、さすがにみんながみんな都庁に圧倒されて笑っているわけではないような気がしてきた。私ほど都庁に思い入れがないだろうし。

 観察を続けると、笑っている人はみんなスマホ画面を見ていることに気がついた。ポケモンGOで激レアのモンスターが出現したり、面白い臨時ニュースが届いたりしているのかもしれない。

 そう推測した私は自分のスマホをチェックしてみるけれど、気になる通知はなかった。

 う〜ん。

 うまーく笑っている人の背後に周り、スマホの画面を盗み見る。しかしみんな各々の画面だったので、答えはスマホにないのかもしれない。

「美祐ちゃん、お待たせ」

 母がやってきた。会うのは2ヶ月前に実家に帰ったとき以来だから、そんなに久しぶりじゃない。今日も髪の毛をうまく巻けていて羨ましい。

「見て。みんな笑ってるの」

「なんか良いことあったんじゃない。ランチ何食べたいか決めた?」

「まだ」

 母は慌ただしく、カバンにパスポートの書類をしまいながら、都庁に近づいていく。

「都庁、ほんと懐かしいわね。昔、よく来たのよ。昔っていってもお母さんが20歳くらいのころ、都庁がここに移転してきたときだけど」

「へえ。都庁って、移転したんだ?」

「有楽町からね。ほら今、東京国際フォーラムになってるところ」

 そんなこと言われても、すぐにどこかわかるわけない。

「ほんと懐かしい。お母さんもね、昔よく笑いに来たのよ」

 え? 笑いに来た、って言った?

 都庁って面白いの?

 格好良いだけじゃなくて、面白いの?

「これ、わかる?」

 母が指差した都庁の壁には、小さな穴が空いていた。

「都庁で待ち合わせしたいって言うから、持ってきたのよ。もう誰も聞いてる人いないけど」

 母はそう言って、カバンから有線のイヤホンを取り出し、小さな壁穴に差した。

 はい、と渡された片方のイヤホン。

 都庁から何が聞こえるのだろう。

 私はおそるおそる、右耳にセットした。



「はいどーも、東京都庁の右(みぎ)ビルです」

「左(ひだり)ビルです」

「二人合わせて、うびるとさびるです。お願いします」

「皆さんから見て右がうびるで、左がさびるです」

「いや、皆さんの立ってる場所によるでしょ。どっちが右でどっちが左か。頑張っていきましょう」

「都民の皆様、本当にいつもありがとうございます。本当にありがたいです。」

「いや、めっちゃお礼言うじゃん」

「この機会に、心から感謝を申し上げます」

「何に対してのお礼か言わないと伝わらないよ?」

「都民税」

「いきなり金の話かよ。ありがたいけど」

「個人都民税、法人都民税、固定資産税、事業税、不動産取得税、都タバコ税……」

「詳しく言わなくていいよ」


 信じられなかった。

 イヤホンから漫才が聞こえる。

 ツインタワーの右ビルと左ビルは漫才コンビだったのか。確かに、そんなシルエットをしている。だから格好良いと感じていたのかもしれない。なんだか急に親近感も湧いてきた。


「東京には素敵な観光名所がたくさんあるんですよ」

「東京タワーとか、雷門とか、たくさんありますねえ」

「その中でも今日は二つ、私が絶対に行って欲しいところを紹介します」

「さびるのおすすめ二つ、ぜひ覚えて帰ってください」

「東京ディズニーランドと」

「は?」

「ららぽーとTOKYO―BAY」

「……さびる、お前マジで言ってんのか? 都庁として言っていいこととダメなことがあるぞ」

「え? どっちも楽しいって聞くよ」

「どっちも千葉なんだよ」

「は?」

「知らなかったのかよ。東京ディズニーランドとららぽーとTOKYO―BAY、どっちも千葉なの! 舞浜と船橋」

「じゃあなんで〝東京〟って……」

「まあ、言いにくいけど、東京の方が有名だからじゃない?」

「えっへん」

「えっへんってなんだよ」

「その選択は、正しいでしょう」

「上から言ってんじゃないよ」

「千葉の皆さま、名前の月額使用料お待ちしております」

「また金の話! やめな」


 なかなかしっかりしてるじゃん、と思いつつ耳を傾ける。


「もっとちゃんと東京のおすすめスポットをを紹介しろよ。ほら。今アツいのは、4年前にできた、水道橋の」

「あ、わかった。あれでしょ、あの〜」

「忘れてんじゃねえよ。都庁のくせに」

「後楽園競輪場の跡地にできた、あの〜」

「そうそう」

「ビッグエッグ」

「東京ドームだわ。なんで愛称の方が先出てくるんだよ。卵の形に似ているからビッグエッグって呼ばれてるけど」

「BIG EGG」

「発音どうでもいいよ」

「すみません、皆さん、ほんと、ここだけの話にして欲しいんですけど」

「なんだよ、急に神妙な声で」

「実は、都庁の地下で、信じられないくらい大きな鳥を飼ってます」

「飼ってねえよ」

「初めて産んだ卵が東京ドームで」

「勝手なこと言ってんじゃねーよ」

「右ビルと左ビルで一緒に温めました」

「そんな思い出ねーよ」

「皆さんの税金が親鳥のエサ代になってます」

「なってねーよ。もっと皆さんのためになること言えよ」

「例えば?」

「ぜひ東京ドームで、屋根のついた球場で野球観戦してください。ビールも美味しいし、グッズもたくさん売ってますよ。特に巨人戦、中でも巨人阪神戦は盛り上がること間違いないですよ〜。こういうことだよ」

「……うびる、聞き捨てならねえよ」

「なにが」

「ファイターズの本拠地でもあるだろ!」

「確かに! ごめんなさい」

「信じられないわ。都庁としてあるまじき言動だわ」

「ほんと、ごめんなさい。それは謝罪します」

「うびる。罰として、5年間、設備点検なしだぞ」

「いや困るの皆さんだわ」


 4年前に東京ドームができたって言っていたから、都庁ができた頃に作った漫才かもしれない。

 私は後半けっこう笑ったけれど、左イヤホンをした母はほとんど笑っていなかった。なぜ笑わないのか尋ねると、こう答えた。

「懐かしさはあるけど、ありネタだからねえ」

 昔聞いた漫才と同じらしい。

「これって、みんな知ってるの?」

「え?」

「都庁が漫才してること」

「昔は有名だったのよ。都庁が完成した当時はワイドショーでも取り上げられて、私も何度も聴きにきた。でも漫才は3種類くらいしかないし、みんな飽きちゃったんだろうね」

 スマホで調べてみても、都庁が漫才しているなんてどこにも載っていなかった。都市伝説として出てきたのは「緊急時や有事の際には変形して巨大ロボットになる」とか「東京タワーと合体する」とかだけ。

 忘れられた芸、ってなんだか悲しい。

 それから3本の漫才を聞いた。どれも、どこかノスタルジックで、面白さと哀愁が同時にやってきた。

「私は面白かったけどね」

 母に素直に感想を伝える。

「そう? あんたたちの方が面白いわよ」

「言わないで」

 都庁をフォローしたはずなのに、傷をエグられるとは思っていなかった。忌まわしくて、怖い、漫才の記憶。

 M-1の1回戦。下手から「はいどーも」と飛び出した瞬間、足がすくんだ。「面白いことを言ってくれるんでしょ」という脅迫じみた観客の目。自分からエントリーしておいてあれだけど、二度と舞台になんて立ちたくない。

「それはそうと、あんた、ちゃんと卒業できるの?」

 大学のことを聞かれて言葉を濁していると、悪夢が起きた。

 

「ごめんごめん、お待たせ」

 げえー、だ。

 母は姉もランチに呼んでいたのだ。

 呼ばないって言ったじゃん。

「美佐(みさ)、遅かったね。仕事は順調なの?」

 母が尋ねても、姉は一瞬だけはずしたワイヤレスイヤホンをまた耳につけて、シカトしたまま。ずっとニヤニヤと笑っていた。手をパーにしてこちらに向けているのは、ちょっと待ってという合図だろう。こういう態度も昔から気に入らない。目の前の家族より、聞いている音楽が大事ってどういうこと。本当に嫌いだ。

 私が自分よりできないと思って説教してくるし、リップクリームとかも勝手に使うし、なんだか偉そうだし。

 姉はケロッとしていて、私だけが腹を立てていることにも腹が立つ。

 同い年のくせに。数10分、生まれたのが早いだけのくせに。

「あんたたち、仲直りしたの?」

「してない」

 私が答えても、姉はニヤニヤしたまま。

 仲直りなんてしたくない、絶対しない。そう心に誓った。

「やっばい。噂通り、めっちゃ良いわ」

 姉はひと段落したのか、イヤホンを外すと、私と母に向かってそう言った。

 何待ちだよ、待たされた身にもなれよ。せっかくの都庁を嫌な思い出に変えるな。

「聞いてみてよ」

 姉に渡されたイヤホンを母が耳に入れたので、私も仕方なく耳に入れる。

 昔から姉は自分の推しのアーティストを母や私に聞かせる癖があって、私はこれを推しハラと呼んでいる。


「はいどーも、東京都庁の右(みぎ)ビルです」

「左(ひだり)ビルです」

「二人合わせて、うびるとさびるです。お願いします」


 え?

 また都庁の漫才?


「北がうびるで、南がさびるです」

「合ってるけど。左右と東西南北を同時に説明したらややこしいだろ」


 新ネタかもしれない。

 都庁の壁にイヤホンを差さなくっても、Bluetoothで聴けるんだ!

 さっき、都庁の周りでニヤニヤしていた人たちはきっと都庁の新ネタを聞いていたんだ! 謎が解けたのでスッキリして、漫才に集中することにした。


 ***


 姉はランチの席につくなり、すぐに謝ってきた。私は許すことにした。

 東京都庁が目の前に見えるビルの高層階でちょっと高いランチを食べるのに、いつまでも怒っているのは似合わないと思ったからだ。それに都庁の新ネタを、変わるがわる3人で30分くらい聞いて、面白くて、笑って、気分が良くなったことも理由にあるかもしれない。

 右ビルと左ビルの間、めちゃめちゃ遠くにスカイツリーの先端が見えているのもセンターマイクみたいで素敵なシチュエーションだった。ワイヤレスイヤホンを耳にかざしてみると、今も右ビルと左ビルは喋り続けている。

 お笑い好きだった私たち姉妹。

 高校時代は劇場に通い、互いに好きな若手芸人を発掘しては教え合った。

 それから私は大学に行き、姉は就職し、二人とも実家を出て疎遠になったけれど、繋いでいてくれていたのはお笑いだった。劇場で待ち合わせをして、そのあとよくご飯を食べて帰った。

「美祐が働き出すと、時間に追われて無理になりそうだから」と、今年の夏、一緒にM-1に出ることになった。お笑い好きとして、一度は経験してみたいことだった。

「私、働いてるんだから、あんたがネタ書いてよ」

 そんな注文を受け、確かに、と受け入れてしまい、ネタ作りの日々が始まった。

「双子なんだから、それを活かした設定が良いんじゃない?」

 姉の言葉を頼りに、2分間の漫才台本を必死で書いた。大学も休んで、アルバイトも休んだ。台本のことしか考えられなくなった。姉は私がそうなっちゃうのをわかっていたんだと思う。

 それなのに、ガチガチに緊張してネタを飛ばした。もちろん1回戦不合格。

「まあ、仕方ないんじゃない。台本が良くても、本番でうまくいかないと意味がないじゃん。それに、どうせ1回戦通っても、このレベルじゃ2回戦は無理だったでしょ」

 落ちた夜、姉にデリカシーのない一言を吐き捨てられた。

 姉に誘われ、姉と楽しみ、姉に傷つけられた夏だった。

 でももういい。都庁の新ネタを聞いて二人で笑い合えたから。


 数週間経った。

 お昼のワイドショーに映っていたのは都の職員だった。

 右ビルと左ビルの漫才が面白いとSNSでも話題になり、全国各地から観光客が訪れるようになった。それを受けて取材に答えることにしたのだろう。

「実は、理由がわっかんないんですよね。昔は確かに、漫才課がありました。小さい部署でしたが、職員が都庁の漫才台本を書いていたんです。開始当初は話題になりましたね。しかし九十年代前半から空前のバラエティブームが始まって、漫才には見向きもされなくなったんですよ。少しずつ漫才のネタを変えつつ、細々と続けていましたが、2001年に打ち切られて、漫才課はなくなってしまいました。税金を漫才なんかに使うな、って声もあったりして。ほら、今の、プロジェクションマッピングと同じような批判ですよ」

 職員の顔からは困惑が見て取れる。

「それが、実は4年くらい前からubuilding-sabuildingという謎のBluetoothに接続できるようになり、また都庁の漫才が聞こえるようになったんです。漫才課が復活したわけではないので、我々職員も関与しないところで。それから4年の間でかなりネタが面白くなったので、今また話題になったのだと思います」

 都庁の職員は関与してない、だと。

 そんなことがあるのか。

 だとしたら、今は近隣に住む誰かが漫才を作って流しているに違いない。

 放送翌日から、お笑いファンの中で犯人探しが始まった。

 大手広告代理店は自分たちは携わっていないと言い、売れている芸人や放送作家たちも関与を否定した。

 面白い漫才で通行人の耳をジャックする愉快犯。漫才テロ。

 首謀者は誰だ、と芸人やファンの間で話題は持ちきりだった。

 そんななか、私の中には一つの仮説が浮かんでいた。

 漫才テロの犯人はいない。

 東京都庁は、自らの意思で漫才をやっている。右ビルと左ビルは、誰かを笑わせたくて仕方ない。

 私にはわかる。

 都庁には時間がないんだ。

 1991年に完成して、漫才を始めて、2001年に打ち切り。Bluetoothに接続できるようになったのは4年前。

 合計、14年。

 来年、M-1ラストイヤーじゃんか。

 絶対に誰かを笑わせたいって気持ちには愛があり、執念がある。右ビルと左ビルのその気持ちがBluetoothを開通させたんじゃないか?

 人工漫才サイボーグビルだった都庁が、立派な漫才師になったのだ。

 M-1の募集要項に書かれているのは『とにかく面白い漫才』であること。

 ビルが出場しても良いんだ。

 都庁はM-1に出たいんだよ、きっと。

 会場に入りきらないという問題はあるけれど、運営側がどうにかするしかない。だって禁止事項ではないのだから。

 無理なら姉と都庁の漫才を完コピして、再びチャレンジするのも良いかもしれない。

 ほら。美祐、美佐なんて、名前に右も左も入ってるじゃん。私たちも都庁じゃん。

 

 今日はM-1。私は都庁と一緒に見たいと思い、始まる時間に合わせて北展望室に登った。初めて都庁から見る夜景にうっとりしていると、すぐにくじ引きが始まった。ファイナリストが漫才を披露する順番が決められるのだ。

 すぐに一組目が決まる。

 私はスマホの音量をMAXにした。

 右ビル、左ビル、来年はあなたたちが決勝に行くんだよ。頑張れ。

 だから、今年はせめて出囃子だけ。

 大音量で流れるFatboy Slimの『Because we can』。

 音と共に都庁が揺れ始めた。

「どーもー」

 右ビルと左ビルは漫才師の第一声に高揚したのか、私を乗せたままスカイツリーまで走っていった。





※次回の更新は、2025年1月10日(金)の予定です。