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ショートショートトーキョー

ファビアン(あわよくば)
第8話 ひよちゃんとばあちゃん
寝坊してしまい、羽田空港に到着したのは飛行機出発の三十分前だった。セルフチェックインを済ませていたので、急いで荷物を預けて保安検査場を通過する。出発ゲートに到着すると同時に、航空機への搭乗案内のアナウンスが流れた。
良かった、なんとか間に合った。
お土産だけでも、と辺りを見渡すと、簡易的なコンビニを発見した。寝坊さえしなければ保安検査をする前にじっくり選ぶことができたのに、ここは選択肢が少ない。
これでいいやと手に取ったのが『東京ひよこ』だった。五個入りを二箱購入した。定番中の定番。銘菓の中の銘菓。嫌いな人なんて見たことがない。みんな大好きなひよこ型の饅頭だ。
「ほぉ、可愛いひよこちゃんじゃねえ!」
山口の実家に到着してお土産を渡すと、ばあちゃんは目を細めてそう言った。包装の中から出てきた東京ひよこをとても気に入ったらしい。ゆっくりと膝の上に乗せて「お前さんは『ひよちゃん』っちゃな」と名づけたあと、「可愛いねぇ、ふわふわしとるねぇ」と言いながら指でそっと撫でていた。
ばあちゃんはしばらく愛でたあと、「じいちゃんにも見せてやらにゃあ」と立ち上がって、仏壇にそっとひよちゃんをお供えした。
「じいちゃん、都会のひよこさんじゃよ。可愛いじゃろ。ひまりちゃんがくれたんじゃ」
そう話しかける姿を見てなんかほっこりした。ばあちゃんの目は少し潤んでいるように見えた。
私はばあちゃんに渡した箱の中から一つ取り出して頬張った。やっぱり美味しい。しっとりした香ばしい皮と、中に詰まった餡がどこか懐かしい味わいだ。残りの分も母さんと弟で美味しく食べ、もう一箱は父さんが「おれにもくれっちゃ」と言って持ってった。
ばあちゃんはひよちゃんを包装紙に包み直して、大事そうに仏壇に飾った。それから毎朝「ひよちゃん、おはようねぇ」と言って撫でたり、夜には「おやすみっちゃ」と指でつついたりしている。
私が「賞味期限があるから、食べてね」と言っても「こんな可愛い子、食べられんよ」と言って笑うだけ。実家に滞在中はずっとそんな調子で、とうとう一週間が経ち、私が東京に帰る日までひよちゃんを可愛がり続けた。
「二年前にじいちゃんが亡くなって、昨年コジロウも天国へ旅立ってしまったでしょう? それからずっと寂しそうじゃったんよ」
そりゃそうか、最愛の人と、十五年も家族だった愛犬が急にいなくなったんだ。もちろん私もとてつもなく哀しかったけれど、ばあちゃんの寂しさは計り知れない。
「行き場を無くした愛情がひよこに向いてしまったんかねえ」
私と母さんはそう結論づけた。
東京に戻ってからは、ワーカホリックな毎日を過ごしていた。仕事で期待以上の成果をあげようと頑張っていた。
数日後、仕事の合間に母さんから動画が届いた。再生すると、相変わらずばあちゃんがひよちゃんを優しく撫でていた。忙しい毎日に疲れていたけれど、少し癒された気がした。「可愛い。けど早く食べるように言ってね」と、返信した。
事件が起きたのは、私が東京に戻って二か月くらい経ったある日のことだった。
「ひまりがくれたひよこが、すごいことになっとるっちゃ!」
電話越しの母さんの声が震えていた。
なんと、ばあちゃんが可愛がり続けたひよちゃんは徐々に大きくなり、いつの間にか包装紙を突き破っていたらしい。
母さんはテレビ電話に切り替えて、その姿を見せてくれた。
たしかに大きさは数倍になっていた。けれど、それどころではなかった。フォルムがひよこからにわとりに変わり、格好良いトサカを生やしていたのだ。信じられなかった。
「ばあちゃんの愛情が奇跡でも起こしたのかねえ」
いやいやばあちゃんが愛情を注ぎすぎたからと言って、お菓子が成長するなんてことがあるか?
魔法?
お菓子に秘密の力が宿っていたの?
工場で変な実験でもした?
それとも、ひよ子たちはにわとりになりたい願望を持っていた?
色々な可能性を考えたけれど、どれも証拠がないし、不思議な現象を説明できない。
母さん曰く、感触はひよこの時より筋肉がついて弾力があるそうだ。しかしその周りに育った羽毛部分のおかげで、ふわふわ感もキープしているように見える。
にわとりはなんだか目を細めて幸せそうな顔をしているし、私もばあちゃんの愛情で育ったとしか考えられなかった。
「そんでね、もっと驚くかもしれんちゃけど、ひよちゃん、卵も産んだんよ」
母さんのそんな報告に耳を疑った。
「は? どうやって?」
「どうやってかはわからんっちゃけど」
「トサカもあったし、オスでしょ?」
「実はねぇ、私の友達が博多ひよ子を送ってきとったんよ。ばあちゃん、それにも『博多のひよちゃん』って名前つけて、可愛がっとったっちゃ。私に隠れて」
母はそう言って、カメラの前にもう一頭のにわとりを持ってきた。博多のひよちゃんも同じくらいの大きさで、トサカが短かった。
メスだ。
母が発見したとき、大きく育ったひよちゃんと博多のひよちゃんはお互い寄り添ってたらしい。仏壇の隅には卵がころんと転がっていたのだとか。
「あとねぇ……」
母さんがさらに続ける。ちょっと言いにくそうに声を落とした。
なんだか嫌な予感がする。
「父さんが一箱持って行ったでしょう? あれね、寄り合いに持っていくのを忘れたまま放置しとったんよ。そしたらいつの間にか箱を破って……」
母さんが戸棚を開けて、カメラを向けると、鋭い爪を持った軍鶏の饅頭が怒った顔で並んでいた。しかも五匹も。
「自分が悪いのに『おれのひよ子がこんな目にぃ』って嘆いとったんよ。信じられんちゃ」
ばあちゃんが毎朝毎晩撫でていたひよちゃん二匹は穏やかに育ち、卵まで産んだ。父さんが放置し続けたひよ子五匹は怒りに満ちた軍鶏になった。
母さんの「ばあちゃん、毎日ひよちゃんに話しかけとったけぇねぇ」って言葉が沁みて、胸がじんわり熱くなった。
ふと、私がすくすくと育ち、今、東京で仕事を頑張ることができているのも、家族のおかげだと気がついた。
「ひまりちゃん。元気かあ?」
そこにばあちゃんも姿を見せた。その手には大きくなったひよちゃんと博多のひよちゃんを抱き抱えている。
「ひよちゃんたち、じいちゃんとコジロウの分までありがとうね」
私がそう言うと、ばあちゃんは涙目になって笑った。
「また有給とって、帰るからね。それかお正月に」
「気をつけて帰っておいでよ。また、ひよちゃんちょうだいね」
「うん。また買って帰るよ。東京だとどこでも売ってるからね」
ばあちゃんは私の答えを聞いて安心したのか「大きくなったから、お得じゃねぇ」と言って、パクっとひよちゃんの胴体を頬張った。
それから博多のひよちゃんの顔にもかぶりつき「ああ美味しい」と呟いた。
後日、ばあちゃんが父さんの軍鶏を数日間なでると、威嚇していたような表情がだんだん穏やかになったらしい。恐るべし、ばあちゃんの愛情。母さん曰く、今はそれを食べるのが楽しみなのだとか。
※次回の更新は、2025年3月21日(金)の予定です。