ピ蔵本〜僕と僕の本たちの物語
ピストジャム
第29話 『暗夜行路』志賀直哉
小説の神様と呼ばれた志賀直哉、唯一の長編小説。本作は、もともと大正元年に『時任謙作』という表題で執筆に取りかかったが、二年ほど書いたところで、どうしても物にならないとあきらめた作品だった。
その後『暗夜行路』と改題し、断続的に連載していたものの未完のままだったが、自身の全集出版を機に改めて着手し、昭和十二年に完結させた。二十六年越しのことだった。
『暗夜行路』の主人公は謙作。彼は幼いころから祖父の家に預けられ、両親の愛を知らずに育つ。やがて謙作は小説家になり、恋心を寄せていた幼馴染との縁談を進めるが、相手方から一方的になぜか断られてしまう。自暴自棄になりながら居を尾道に移した謙作は、祖父の家で働いていた女中との結婚を模索し、兄の信行に手紙を送る。信行からの返信には、その女中との結婚はできないという旨に加えて、これまで秘されていた謙作の出自についても綴られていたのだった……。
本作は、生まれ直しの物語といえる。前篇は、謙作が受け入れがたい自らの出生の秘密を知って葛藤しながらも、自分という存在と向き合い、自身を肯定していく姿。後篇は謙作を新たに苦しめ悩ませる許しがたい出来事が起こるが、それらを受容し、赦しに至る過程が刻々と描かれている。
これらは死を受け入れる心理的プロセスにも似ている。最初は拒否、否認、孤立から始まり、怒りが起こり絶望するが、運命を悟ったところから感情や考えが変遷し好転していき、最終的に心の安らぎと希望を獲得する。
生まれ直しが主題と考えると、『暗夜行路』という題も胎児が子宮から産道を通って誕生するさまを表しているようにも思える。全編通して語られる恋愛、結婚、家族、そして、いつどこでどうなるかわからない男と女の関係。これらは時代を違えたとしても身につまされる普遍的な題材であり、その先にある人としての高い精神性をどのようにして得るかという成長譚として読める。
そう考えると、『暗夜行路』は恋愛小説であると言いきってもいいのかもしれない。脈々と続く男女の営みによって我々はこの世に生を受けているが、そのすべてを肯定することは難しい。しかし、自分たちはたったいまから生き方を選択することができる。恋愛においても、人生においても、誰しも、いまこの瞬間から生き直すことが赦されている。暗い夜道を抜けた先には、おだやかな明かりが必ず灯っていると信じて歩むことが、生きていくということなのではないだろうか。
先日、大阪で仕事があったので、ひさしぶりに実家に帰った。実家は京都最南端の町で、近鉄奈良駅から車で二十分ほどのところにある。
その日は、たまたま母が奈良に出ているということだったので、奈良で落ち合った。母は会うなり「どっか寄りたいとこあるか?」と訊いてきたので、「志賀直哉旧居に行きたい」と答えた。すると母は、「あんた行ったことなかったん? お母さん何回も行ったことあるで。ほな、行こか」と軽快に返し、高畑にある志賀直哉旧居まで車を走らせた。
志賀は大正十四年から昭和十三年までの十三年間、奈良に居を構えていた。奈良の最初の住まいは幸町というところで、そこは母の実家のすぐ裏手だったという。
現在拝観できる志賀直哉旧居は奈良で二軒目に住んだ家で、幸町のとなりの高畑という町にある。存在は子供のころから知っていたし、近くまでは何度も行ったことがあったのだけれど、中に入ったことは一度もなかった。
玄関を入った正面には、親交の深かった画家、熊谷守一の書が掲げられていた(熊谷の絵は『暗夜行路』の装画としても使用されている)。『直哉居』と書かれた字は、素朴で、なんとも言えない親しみやすさと味がある。
入ってすぐ左手の階段を上がると、あたたかな午後の陽光が差し込む十畳ほどの和室が広がっていた。そこは『暗夜行路』を書き上げたという書斎。
「日当たりよくて気持ちいいな」僕がそうこぼすと、母は「下の奥さんの部屋の方がすごいで。奥さんに一番日当たりいい部屋あげたらしいで」と、まるで近所の旦那を褒めるかのように答えた。
母は畳の上に座り、北側の窓から秋の若草山を眺めた。「見てみ、めっちゃいい景色やろ」「そうやな」「こっからやったら山焼きもきれいに見えたやろうな」「ほんまやな」
母と同じ景色を見つめながら会話したのは、いつぶりだろう。思い出そうとしたけれど、目の前の紅葉を見ていると、そんなことはどうでもいいように思えてきた。

『暗夜行路』
著/志賀直哉
発行/新潮社
※次回の更新は、12月24日(水)の予定です。