
ピ蔵本〜僕と僕の本たちの物語

ピストジャム
第14話 『すてきな三にんぐみ』トミー=アンゲラー
初めて読んだのは小学一年のころだったと思う。学校の図書館で見つけて、その表紙絵にひと目で魅了された。
見るからに怪しい黒ずくめの三人、感情の読めない不気味な目、そして宙に輝く大きなまさかり。なのにタイトルは『すてきな三にんぐみ』と書かれていて、子供ながらにどこがすてきやねん、この見た目は絶対わるもんやろ、と混乱した記憶がある。
本作の原題は『THE THREE ROBBERS』。直訳すると「三人の強盗」だ。いま思えば、『すてきな三にんぐみ』は意訳されていたので当然の反応だったと思う。
それまで夢中になっていた絵本は『バーバパパ』だった。カラフルでかわいくて、体をどんなかたちにも変えられるバーバパパの家族の話は何度読んでも飽きることなく楽しかった。
本作はその対極にあるような暗いタッチの絵だったからこそ、逆に惹きつけられたのかもしれない。振り返れば、このころから僕は『ゲゲゲの鬼太郎』にハマり、毎日『妖怪事典』を開いて妖怪の名前と特性を必死に覚えていたので、こういった妖しげな雰囲気を放つものへの興味が一気に開化した時期でもあった。
『すてきな三にんぐみ』は、偽りなくすてきな物語だった。『バーバパパ』は登場する一家のキャラクターが面白くて好きだったのだが、ストーリーは特別メッセージ性のあるものではなかった。しかし本作は、一読しただけで忘れられないほど強烈に印象に残る作品だった。
黒ずくめの三人は名もない山賊で、夜な夜な馬車を襲い、宝を隠れ家にため込んでいた。ある夜、襲った馬車に宝はなく、みなしごの女の子が一人いるだけだった。三人はその孤児を隠れ家に連れて帰ったのだが、その日をきっかけに三人は孤児をたくさん引き取るようになり、城を買ってみんなで暮らし始めた。孤児たちはさらに増えていき、結婚し、城のまわりに村をつくり、三人を忘れないために三人にそっくりな三つの塔を建てた。という物語。
著者のアンゲラーは、自身の娘に捧げて本作を制作したという。改心すれば良き人になれるということ、お金は人のために使うものだということ、感謝の気持ちを忘れないこと、またそれを表すこと。本作には父から子に伝えたい多くの思いが込められている。
二〇一九年、浅草のとあるビルで開かれた現代アートのグループ展に又吉直樹さんが参加されることになった。そのグループ展の会場は、解体前のマンションまるまる一棟。参加アーティストは、そのマンション内の一室を使って、それぞれ作品を展示するという非常に斬新なイベントだった。
僕はその話を又吉さんから聞いて、制作の手伝いを申し出た。又吉さんの中学時代からの友人で、僕の同期でもある難波麻人さんも制作に加わることになり、それから数週間のあいだ、昼夜問わず時間を見つけてはそのビルに三人で集まり、ひたすら制作に励んだ。
グループ展の主宰は山田リサ子さんという現代美術家。リサ子さんは自分からけっして言ったりしないのだが、レディー・ガガがリサ子さんの絵を気に入って購入したという驚くべき逸話の持ち主で、たまたま僕が長年髪を切ってもらっている美容師とリサ子さんが知り合いだったこともあり、又吉さんの手伝いで通っていただけの僕とも仲よくしてくれた。
参加アーティストの中には、同期のクレオパトラ長谷川もいた。彼は吉本を退所してから「エンニュイ」という劇団を立ち上げ、活動の幅を広げているという噂は聞いていたが、まさかここで再会できるとは思っていなかった。同期が一人の作家としてこのグループ展に参加していることは誇らしく、刺激になったし、テンションが上がった。
さまざまな部屋から、作品を制作する色とりどりの音が漏れ聞こえてくる。のぞきに行くと、どこかしこの部屋も、空間全体を作品として鑑賞者に体験させるインスタレーションという手法で作品を制作していて、新しい表現をしようと格闘する作家の方々の気概と信念をひしひしと感じた。
又吉さんの作品もインスタレーションだった。それは、そのマンションの一室に住んでいる架空のアーティスト「肥後久(ひごひさし)」が自室でグループ展に向けて制作を進めていたが、会期前日の夜になって、制作が間に合わなくて逃げ出してしまったという部屋を、そのまま作品として来場者に体感してもらうというものだった。
まずは肥後久がその部屋に前日まで住んでいたという痕跡を表現するために、がらんどうの部屋に冷蔵庫やソファーなどの家財道具一式を運び入れ、こまごました生活雑貨を購入し、配置していく。寝床は押し入れの設定にして、ふとんは押入れの中に敷くことにした。生活感をより出すために、ハンガーラックには古着や使い古したタオルをかけ、冷蔵庫の中にはビールやチューハイ、飲みかけのお茶なども入れる徹底ぶり。
解体予定のマンションに家財道具を運び入れるのは不思議な感覚だった。人知れず廃墟に忍び込んで、秘密基地をつくっているような気分。グループ展が終われば、このマンション自体がなくなってしまうなんて信じられなかった。
部屋が完成し、次は肥後久がつくっていた作品の制作に取り組んだ。これは完成したものもあれば、制作途中の作品もあるという設定なので、それぞれ作業を手分けして進めていった。
僕は、カツラづくりと土俵づくりを主に担当した。カツラは「怒髪天」という作品に必要で、この作品は、髪の毛が逆立って天井を這うほどにまで伸びまくったカツラを鑑賞者がかぶって遊べるというものだった。土俵は、その部屋の窓からはスカイツリーが一望できたのだが、肥後久はスカイツリーと相撲を取るために窓際から半円になった土俵をつくって、いつもスカイツリーをにらみつけていたという設定だったので、ホームセンターで土を買ってきて部屋の中に敷き詰めて半円状の土俵を制作した。
グループ展開催の朝、なんとかすべての作業が終わった。夜を徹して作業し、最後に又吉さんと二人で屋上へ上がって眺めた朝焼けのスカイツリーはこれまで見た東京のどの景色よりもやさしかった。
又吉さんはその日、白衣を着て黒ぶちの丸眼鏡をし、肥後久に扮しながら一晩中作業していた。屋上に向かうときもその姿で、どこから手入れたのか、なぜか手にはオレンジ色の風船を掲げていた。
「写真、撮って」と頼まれて、スカイツリーを背景に撮影した写真には、逃げ出さずに最後までやり遂げたもう一人の肥後久の姿が映っていた。
ビルを出るとき、リサ子さんがいらしたので挨拶をした。僕はずっと気になっていたけれど、全然たいしたことではないのでそれまで訊かなかったことを尋ねてみた。
それは、僕はこのビルにずいぶん昔に一度来たことがあったはず、というおぼろげな記憶だった。うろ覚えだったので口にするのもなと躊躇していたけれど、たしかこのビルの地下には服屋が入っていて、二十代のころに友人に連れられて入ったような記憶の断片がうっすらとあったのだ。
リサ子さんは笑顔で答えた。
「そうだったんですね! 地下に服屋ありましたよ!『THE THREE ROBBERS』っていうお店!」
『すてきな三にんぐみ』
作/トミー=アンゲラー
翻訳/いまえ よしとも
発行/偕成社
※次回の更新は、6月11日(水)の予定です。