眼鏡をはずすとちょっと目が大きくなる
浦井のりひろ(男性ブランコ)
第12話 単独公演の振り返り(浦井目線)
単独公演がしたいというのが、芸人である動機の多くを占めている。コンビでやっていく上で、その点は平井と一致していたため、初期から目標を単独に定め活動してきた。
初めてのチャンスは2年目にやってきた。当時劇場に所属していなかったが、若手だけのバトルライブの優勝特典で好きなライブを打てる権利を獲得したのだ。タイトルは「ガラクタ森」。あこがれの単独公演、その第一歩だった。ライブの準備に悪戦苦闘しながら、しかし初めて自分たちだけで1時間ライブが出来ることが楽しみだったのだが、本番直前に平井がインフルエンザを発症、外に出られるのが単独ライブ当日からになってしまった。初単独のネタ合わせがビデオ通話というのは稀有な体験だったが不安も大きかった。それでもなんとか形にし、本番では作家さんに書いてもらったネタを二人とも完全に飛ばすなどハプニングもありながらではあるが、最後までやり遂げることができた。まだ実家に住んでいた為ネットカフェの個室で夜中まで感想をエゴサーチしたのを覚えている。
その後劇場に所属することができ、初めて吉本の劇場での単独公演を打たせてもらった。とても張り切っていたため様々な演出をどん欲に盛り込んだ結果、前日のリハーサルが5時間くらいかってしまい、さらに演出を巡ってその時付いてくれていた作家さんと舞台監督さんが険悪な空気になり、二人で「なぜこんなことに……」と夜中の劇場の隅っこで立ち尽くしていた。
その後も30分のミニ単独を数回行った後、東京に移籍するため大阪で最後の単独を行った。この時平井が今のスタイルに近いストーリー仕立ての長尺コントを書いた。見に来てくれていたコロチキ西野や今井らいぱちが終演後「人の単独で初めて泣いたわ」と言っているのを見てとんでもないものを書くなあと驚嘆したのだった。後年そのときに使った袖パネルが劇場の空調の風向きを調整するために天井に吊り下げられているのを見たときは同じくらい驚いた。
東京に活動の場を移し、翌年新宿の劇場で東京初単独を開催した。その時のコントの一本で操り人形を使うのでネット通販で購入したが、時間が掛かった上に届いた商品が見本と全く違う小さい粗悪品が届いてしまい、泣きながら本番前日に自作した。煙草の箱くらいしかない人形はその際のデザインの参考にはなった。
その後は、複数回公演を行う為、吉本外の劇場で単独を打つというのが基本方針となった。
元中学校の美術館の一室を借り、5~60人キャパの単独を連日行った。もともと教室だった会場でイスなどを好きに配置できるため、席が埋まっていない回はイスを減らし満席に見えるようにするディナーショー方式をとった。その場所はもうなくなってしまったが、現在の単独のスタイルを形成する礎となったように思う。
そしてコロナ禍が世界を襲い、いつ終わるとも知れない自粛生活に突入。新たに始める予定だったミニ単独シリーズも一度も行われることなく終了した。
その年の秋ごろ部分的に興行を再開する流れになり、渋谷の劇場で久しぶりの単独を行うことになったのだが、無観客配信で「アクリルマスク装着」もしくは「演者の間にアクリルスタンドの設置」が必要であった。限られた条件をものともせず、平井はコントを書き上げた。ネタとネタの間にアルコール噴霧タイムを設けたが、これは特に必要なものではなかった。
翌年新宿の大きな劇場で単独をやる際は、過去最大数の客席を埋めるべく当日までの一ヶ月毎日YOU TUBEを更新した。その年のクリスマス、初のキングオブコント決勝進出後の単独はたくさんのお客様にお越しいただいた。
半年間の毎月単独では、ある回ではスケジュールの関係上月末にやったばかりなのに翌月の初めに行われたり、またある回では朝に九州の営業に出演した後飛び込みで本番を迎えたり、てんやわんやだった。
池袋のサンシャイン水族館や上野の科学博物館での単独は、大きな水槽や化石の前など普段の劇場とは違うシチュエーションで行うコントが新鮮で楽しかった。
横浜、京都、福岡、名古屋など、毎年少しずつ開催場所を増やしていったが、近年の物価高はやはり手強い。そんな強大な敵と戦いつつ、末永く単独公演はやりたい所存である。今年行われている「ねんぽぽ」は、早くも折り返し地点を迎えた。「見た後一駅歩きたくなるような公演」が好きなので、今年の単独もそうなるようにしたい。以上、ネタを書いていない方の単独振り返りでした。
※次回の更新は、2026年8月4日(火)の予定です。