
自意識過剰デトックス

狩野大(バリカタ友情飯)
第5話 才能の自覚
秋になると賞レースの話題とは別で、もうひとつ芸人の楽屋が大騒ぎになることがある。
それは、プロ野球の優勝争いである。
聞き覚えのあるようでない、さまざまな選手名が打球のごとく楽屋を飛び交い、各々が鼻息荒く、推し選手と球団の行く末を案じる。
未だにこの時期の楽屋での軽い置いてけぼり感にイライラする。
僕は今、とくに応援している球団はないし、どの球団が強くてどの選手が活躍してるのかをまったく知らない。
いままでは横浜があまり強くないというぐらいの情報しか無かったが、去年優勝したようでもう何がなんだかである。
ただし、このイライラは野球の話ばかりする人たちの声のでかさに対する不満ではない。
これは、自分の「今年もプロ野球のファンになれなかったのか…」という無念に対するイライラである。秋口になると、いつも勝手に無念さを感じている。
なぜ僕はこの優勝争いの話題に一枚噛めないんだ? なぜドラフト発表で一丁前に熱くなれないんだ?
決まっている。僕にはプロ野球を好きになる才能があるのに、まだプロ野球を楽しむ一歩を踏み出せていないからだ。
そもそも僕は「野球」というスポーツ自体めちゃくちゃ好きだ。
あんなドラマ性が強くて、誰かのミスをカバーし合えて、わかりやすい迫力満載のプレーの数々。観てもやっても楽しくないわけがない。
そして好きでなければ、こんな感情すらも湧かないんだから。
同じスポーツでも毎回オリンピックはニュースでしか結果を見ないし、話題についていけなくても、わりとどうでも良かった。
本当に興味がなかったから。
プロ野球に関しては違う。
話題についていけないと悔しくなる自分がそこにいる。
それは結局「野球」というスポーツそのものは好きだからで、あらゆる要素でハマる才能を僕自身自覚しまくっているからだ。
「狩野よ、こんな才能を持ってるのになぜ…?」と宝の持ち腐れな自分に勝手にがっかりしてる。
そして毎年優勝争いの時期に、「まるで成長していない…」と心の中の安西先生がため息をついている。
毎回同期に「たぶん、俺ハマる才能はあるんだよなぁ〜」と無意味なイキりを見せつけて苦笑いでその場を後にされた瞬間を何度も見てきた。
「本気出せば彼女くらい余裕で作れる」みたいなニュアンスで取られていた。
じゃあその才能を自負する理由は何か?
まず一つ。野球漫画が昔から大好きだったってのがある。
ドカベン、タッチ、H2、ドラベース、MAJOR、ROOKIES、ダイヤのA、と王道野球漫画はほぼ読んできた。
静岡のサッカー少年なのに、「ドラベース」を読みすぎて公園でWボール投げる練習を本気でしてた時期があった。途中でアンダースローを試した時期もある。
何度もアツくなったし、キャッチャーのリードやスクイズ、ツーシームも漫画で全部知った。
とにかく野球の素晴らしさ、楽しさは野球漫画で存分に摂取してきた。
そして考察も好き。
元々お笑いでも飲みの席で今の若手がどうだとか、この平場の立ち回りはこうだとか延々と答えの無い考察をできるくらいに好き。
それがプロ野球に置き換わってこの選手はどういう意図で起用されてとか、どういう将来性があってスタメン入りしたのかとかを考察するのも絶対好きだし、たまに野球好きな芸人からプロ野球チームの現状を事細かく教えてもらっているときは、退屈だと思ったことが一度もない。
そしてこれは肌感覚だけど、プロ野球に熱中してる芸人みんな、ちょうど僕が好きな人が多い。
ぶっちゃけ、もうこれが好きになれる理由の9割占める。
仲良いブラゴーリの塚田さんとめぞんの原に話しかけようとしたら喫煙室でベイスターズの話してて終わるまで横で待ったことある。
タバコも吸えなくて野球の話もできない自分に、「おれ男なのに…」って意味不明な悲しさが溢れて泣きそうになった。
野球好きだったらこの人たちと一生話せるのだ。
じゃあ何がプロ野球と僕を阻んでいたのか。
僕は趣味として自分の喜怒哀楽を何か別の存在に託すことに慣れないからだ。
プロ野球もチームという箱推しか選手という単推しみたいな部分があると考えている。僕は趣味として「推し活」みたいなことを人生で全くしたことがない。
数々のアイドルも全くハマれそうになかった。アイドルに魅力が欠けているとかでなく、僕個人の感情とこの方たちのパフォーマンスとの関連付けがどうしてもできなかった。
要は推し活できる自信がないのだ。
同じ趣味でも美味い飯食いに行くとか気持ち良いサウナ施設に行くとかは自分で金払って直接幸福を得るものなので、かける費用も遠征も容赦なくできる。
となると、あらゆる野球にハマれる要素を持ち合わせながらも、まだ推し活したことない僕に残された最後の手段。
現地で金払って生でプロ野球の試合を見に行って感動しに行く。
もう結局これしかない。
生で見るキャッチャーのリードはもっと緻密で
生で見るスクイズはもっと華麗で
生で見るツーシームはもっとわけわかんない球筋なんだろう。
それらを適当に考察して、塚田さんと原に話をしてみたい。
そしていつか「推す」というものに手応えを感じる日があれば、今年の秋の日の楽屋で僕も誰かと同じく鼻息荒く球団の行く末を案じる日が来る。
そんなことを願う。
※次回の更新は、6月27日(金)の予定です。