
自意識過剰デトックス

狩野大(バリカタ友情飯)
第2話 5年2組のイジられキャラの果て
人見知り。
変にプライド高い。
人と話す時に目合わすのが苦手。
常にマイナス思考。
32歳でようやく脱チェリー。
そんな要素が相まっていわゆる周りから“陰キャ”というカテゴリーにぶち込まれる自分。
が、学生時代は教室の隅っこに1人でいたかと言えば存外そうでもなく、教室の真ん中にいる陽キャの輪に無理やり連れてこられてわりとその真ん中で何かするような、陰と陽どちらも行き来できた人間だった。
マリオシリーズでいうワリオみたいな位置。
キャラそのものの人気はたいして無いけど、なんかこいつが主人公のゲームは楽しいみたいな存在。
何がどうあってそんな陰キャ属性の自分が教室の真ん中寄りに存在できたか。
すべてのイジられをリアクションという「おもしろ」で全部跳ね返したから。
芸人が「おもしろ」とか文字にすると恥ずかしいが、唯一の誇りなので文字にする。
当時僕の地元静岡市には、お笑いの文化があんまり浸透していなかった。
まずボケるやつが少ない。
となると必然的にツッコむやつも少ない。
すると残されたお笑いのノリは「イジり」と「イジられ」である。
僕はこの「イジられ」キャラの枠に見事入り、ひたすらリアクション1本で皆を楽しませて学生生活を真ん中寄りの位置で生活できていた。
そんな「イジられ」というポジションがオイシイかもと思った瞬間は、明確に覚えている。
小学5年2組の春、社会の授業で人名を答える場面で手を挙げた。
どう考えてもその人しかいないという問題だったので、自信満々で答えた。
僕「はい!徳川綱吉です」
先生「え?」
僕「え?あれ?!違うの?!?」
先生「………正解!」
僕「なんだよ!びっくりしたー!」
小学生ながらに受け答えのテンポと温度感が完璧すぎて、このスケールの小さな即興ミリオネアのやり取りに、教室中が爆笑だった。
もしここが劇場だったとしたら授業終わりに、
僕「すません、さっきありがとうございました」
先生「いや、狩野良かったよ、また頼むわ」
みたいなやり取りがあってもおかしく無い。
日常で笑いを取るということの妙な手応えを感じた。
名前が大なので毎日のように「大根!」とか呼ばれたもんなら、
「大根じゃねーよ!」の返しが定番化し、男女関係なくいじられては弾き返していた。
イジられの手応えを自覚しつつ中学に入るといわゆる「カースト」がはっきりし始めてきて、自分が下の立ち位置になりやすくなったことでよりイジられやすくなったが、さらに強いリアクションでそれを跳ね返していった。
そのおかげで、陽キャ陰キャすべてのカーストを行き来できていた。
ヤンキーはこちらがつまんないことをすると平気でつまんないと言って見下してくるので、それを避けるために全部全力で跳ね返した。本気でやれば皆笑ってくれた。
ただ、思春期の僕はカースト最下層にいるのもヤンキー周りの最上位層とつるむのも嫌だったので、ちょうどいい位置を保てるようにとにかく皆を笑わせることでバランスを保っていた。
この時期から「おもしろ」というスキルには特別なパワーがあることを感じていた。
そして高校。
進学校だったのでヤンキーこそいなかったが、やっぱりカーストはしっかり存在していて、僕はイケメンでも頭脳明晰でもなかったので「イジられ」1本でカーストのずっとちょうどいい位置に存在し続けた。
そしてここである出来事が起こる。
文化祭で各クラスから代表者が出て、静岡市民文化会館で漫才をするという大会があった。
ネタなんて作ったことないけど義務教育時代に培い、自分が居場所を確保するために信じてきた自分のおもしろさを初めてネタに昇華してみたいと思い友達と出た。
結果、とんでもなくウケた。
大好きなアンタッチャブルさんの一億番煎じぐらいのマネ事漫才だったけど、ウケ量で言ったらM-1準決勝進出当確クラス級にウケた。
あんなに人が笑うところを初めて見た。
ずっと身体が熱くて、何か僕とんでもないことしたのかもしれない…!と思って1日中ふわふわしてた。
優勝はできなかったけど、そんなのどうでも良かった。
その日以来、なんかカーストをおもしろで維持管理するみたいな価値観そのものがダサく思えてきた。
おもしろというものが自分の中で生きる指標みたいになってきた。
その後大学に進学し、当時「ぼっち」「リア充」という言葉が流行っていたこともあって、ぼっちを恐れリア充になれそうな飲み会コール三昧サッカーサークルに試しに入ってみたけど、なんか周りの全員が無理してるように見えて、今年の文化祭ではそのサークルがタピオカを売ると聞いた瞬間に辞めた。
もうカースト関係無く、自分と皆の思う本気でおもしろい事を追求してみたくなってmixiで「お笑いサークル」に辿り着き、サークル内外全員とんでもなく面白くて楽しくて、結果気づいたらお笑いの本丸「吉本興業」で大汗かいて「全力あっち向いてホイ」をしていた。
人生変えたくてとか、モテたくてとか、金持ちになりたくてみたいな動機で芸人やる人が大半だろうけど、僕はもう見栄でも何でもなく、小5のあの日の教室でスケールの小さなミリオネアのやり取りをしたあの瞬間からたくさんの人におもしろいと思われたくて、それが毎日続いて、あの快感を永久に満たせる贅沢で難しい世界を追い求めて芸人になってしまった。
何度も挫折を味わうし、お金も無いけどこの世界に飛び込んだことを僕はまだ一度も後悔していない。
いや、
やっぱ金は欲しいかも。
お願いだガチのミリオネアよ復活して俺を出してくれ。
※次回の更新は、6月6日(金)の予定です。