楽屋百景

吉本芸人

第4話 自由という罠(男性ブランコ 浦井のりひろ)

私が所属している吉本興業は、全国にある大小さまざまな劇場で365日お笑いの公演を行っている。たくさんの先輩・同期・後輩に混じって、我々男性ブランコも全国の劇場に呼んでいただきコントや漫才、企画公演等に出演している。寄席公演では舞台や客席の大きさ、観客の年齢層などによって、同じネタでもウケ方が全く変わり、公演ごとに一喜一憂する日々である。

劇場があればそこには必ず楽屋があり、同じ劇場で連続して公演がある時などの合間はそこで思い思いの時間を過ごしている。

楽屋のつくりは劇場ごとに全く異なるのだが、単純な面積が広く、室数も多いのが千葉県にある幕張イオンモール劇場だ。その名の通りイオンに0秒でアクセスできる利便性もあり、公演合間の自由度が比較的高い劇場だ。その楽屋で、自由すぎるが故によくわからない一日を過ごした人物がいる。他ならぬ相方の平井である。


アイロンヘッド辻井さんに炊飯器をいただいた時、レトルトカレーが同封されていた事に「カレーの意味がわからない」という感想を送ったり、私服でコントをする時に「ALIEN」と蓄光プリントされたシャツを着てしまい、ぼうっと光るシャツを必死で隠しながら暗転板付したりなどしていろんな人に「激ヤバ」と言われる事の多い平井だが、数年前の幕張で激ヤバランキング上位の出来事があった。

その日の我々は、幕張で計5公演に出演するスケジュールであった。寄席が3回、企画が1回、最後は占い芸人のますかたさんにコンビの運勢を占ってもらうライブというラインナップだ。各公演の間に60〜90分ほどの空き時間があり、私はどの回でご飯に行こうか、いつ買い物に行こうかなどと思案していた。1回目の合間、楽屋を出ようとする平井にふと声を掛けた。普段はそのような事はしないのだが、なんとなくいつもとは違う空気を纏っているのを感じたのだ。


「どっか行くん?」

「ああ、ちょっと携帯の機種変しに行こうおもて」


ここで頭の上に大きめのクエスチョンマークが浮かんだ。確かにその時の平井の携帯は長年使っていた当時でも古いiPhone10であった。それを今このタイミング、しかも家から遠く離れた幕張で変える必要があるのか? 何かしらが上手くいかず、後日またお越しくださいというような事になったらかなり面倒じゃないか? 色々言いたい事はあったが、ようやくの機種変更に色めき立つ様子だったのでそのまま見送り、私は昼食を食べに出掛けた。

次の合間、平井に無事機種変更が出来たかどうか尋ねてみると。


「ああ、結局機種変はしなかったんやけど、ウォーターサーバー契約してきた!」


???????

ウォーターサーバー? 欲しいとか言ってたっけ?というか、なぜ機種変更しなかった?と複数の特大クエスチョンマークが一気に現れ、楽屋にいた先輩方と共にどういう事かを尋ねた。

曰く、イオンモール内の携帯ショップに向かう道すがらウォーターサーバーのビラ配りに遭遇し、熱心な店員さんのプレゼンを聞くうち、自分の家にもぜひ導入したい!となりその場で契約したとの事。持って帰ってきたパンフレットを見せてもらったのだが、「本体無料! 工事費無料!」などの売り文句に蛍光ペンでアンダーラインが引いてあった。なるほどしっかりとした説明を受けたのだなと思ったが、真ん中くらいのページに載っていた、美味しそうに水を飲む小さな女の子の写真にぐるぐるっ!と何重にも丸がされていたのは本当に意味がわからなかった。店員さんはなぜそれがアピールになると思ったのか。

だが事実、平井の背中は押され、彼はウォーターサーバーの契約をして帰ってきた。携帯はiPhone10のままなのに。

パンフにはたくさんの無料という文字が踊っていたが、水そのものには料金が発生するらしいので、楽屋のみんなで1リットルあたりいくら掛かるか計算してみたところ、スーパー等で買うより僅かに価格が上回る事がわかった。

「スーパーで買ったほうが安いよ!」「サーバーのデカいボトル処分たいへんやで!」

と口々に平井に意見する。もちろんそれらを踏まえても利便性は高いので、それも込みで納得していたのだろうと思っていたが、

「ちょっと高いのか…嫌やな……」

と平井はあっさり揺らぎ始めた。

おいおい。パンフレットの女の子も、蛍光色の円の中で心なしか驚いているように見える。契約したばかりで余裕でクーリングオフが可能なので、平井は解約を検討する事になった。しかしどうにも決まりきらず、最終的にますかたさんに「自分はウォーターサーバーを解約すべきか否か」を占ってもらっていた。ライブ前にサービスで占ってくれたますかたさんは、「料金と便利さを比べて納得できなかったら解約すればいい」と占いでもなんでもない至極真っ当なアドバイスを授けてくれた。

こうしてウォーターサーバーを解約する事になった平井だが、その為には後日ハガキを送らなければならないらしく、この日は本当に解約できるか不安なまま残りの舞台に出る羽目になった。

その後、近所のコンビニで切手が手に入らないなどの困難を乗り越え、期限ギリギリで無事解約する事ができた。以来ウォーターサーバーの話は二度と出てこない。さらに数年後、ようやく平井のiPhoneは最新のものに変わったが、未だにニッポンの社長の辻さんに「平井の携帯って『iPhone2』とかやったっけ?」などのiPhone古いイジリをされ続けている。皆様も空き時間の楽屋の過ごし方にはくれぐれも気をつけていただきたい。



※次回の更新は、6月20日(金)頃の予定です!