
あなたと私のエレガント人生
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エレガント人生(中込悠・山井祥子)
第2話 エレガント人生でいること(中込悠)
幼稚園の卒園アルバムに書かれていた“しょうらいのゆめ”は、『ドラえもん』だった。
当時の僕が心の底から猫型ロボットになることを望んでいたのか、それとも周りの友人や先生の気を引きたくておちょけを働いたのかは定かでない。なにせ、三十年以上も前のことである。
ただ、“しょうらいのゆめ”のページが『サッカーせんしゅ』や『おはなやさん』というあの頃の王道ドリームで埋め尽くされていた中で、僕の『ドラえもん』と、けんと君の『ゆうれい』は少々異質で、不気味な光を放っていたことは疑いの余地がない。
もちろん、三十五歳になった今現在の僕は『ドラえもん』になることを諦めている。成長の過程で“できる”ことが増えていく一方、“できない”こともたくさん目の当たりにするようになった。
ポケットからひみつ道具を出せないのはもちろんのこと、理系科目が苦手なこと、ダンスが踊れないこと、大人数の飲み会で楽しめないこと。環境が変化していく中でいろいろな“できない”を知った。残酷ではあるが、それが大人になるということだ。
さて、そうやって大人になった僕の“将来の夢”についてである。相方の祥子から「これからの目標とか夢について語って」というバトンを受け取ってしまったたもんだから仕方がない。語らせてもらおう。
まず小学校の頃…と本当は順を追って事細かく、ドラえもんから続く夢の遍歴を綴っていきたいのだが、僕も皆さんの貴重な時間を奪いたくはない。忙しない現代を生きる中でこの文章に時間を割いてくださる読者の方々を想って、まずは結論から提示させていただく。
僕の夢はズバリ、『できるだけ長く祥子とエレガント人生でいること』である。
「なんだいその曖昧でふにゃけた夢は」と思った方、どうか落ち着いて聞いてほしい。嘘偽りなく僕の一番の夢であり目標は、『できるだけ長く祥子とエレガント人生でいること』なのだ。
芸人としてデビューした後しばらく、一番大きな目標は『コントの単独ライブを毎年開催して、ご飯が食べられるような芸人になること』だった。エレガント人生になる前は“好青年ズ”という珍妙で恥ずかしい名前のコンビを五年ほど組んでいたのだが、当時から周囲にもそう公言していた。
実際、エレガント人生もその目標を強く意識して結成されたトリオだった。サラッと書いてしまったが実はエレガント人生は元々男性二人、女性一人で構成されたトリオであり、それについてはまたこのエッセイで詳しく触れることにする(かもしれない)。とにかく、世に出て、人気を博して、集客できるトリオになることを想定してエレガント人生は生まれた。
だが現実は甘くない。ネタが上手くいかないうえに腰を抜かすほど人気が無く、しまいにはたった一年でメンバーの一人が脱退することになった。コンビとしての新エレガント人生は、苦しい状況の中で思いがけず始まった。
そうなってもなお、僕の目標は変わらなかった。必ず単独ライブでご飯が食べられる芸人になる。トリオがダメならこのコンビで実現すればいい。前を向き、コンビとしてのエレガント人生に気持ちを切り替えた。
そんな矢先である。忘れもしない、新宿のサイゼリヤ。これからどうやってコンビで戦っていくか話し合おうとしていた僕に、祥子が神妙な面持ちで言った。
「私、一年後も今と状況が変わらなかったら芸人辞めちゃうかもしれない」
まずい、と思った。心臓がキュッとなり、脳が揺れた。
好青年ズの相方に芸人を辞めると伝えられた時、旧エレガント人生の相方に脱退したいと相談された時。もちろんショックで相当に辛かったのだが、ここだけの話、すぐに次のことを考えていた。“次”の中に芸人を辞めるという選択肢は無く、「相方どうしよう」とか「どんなネタにしよう」とか芸人としての“次”をたくさん頭に巡らせていた。
でも、祥子に言われた時は違った。次がよぎらなかったのだ。まずい、いやだ。タラコソースシシリー風パスタを巻こうとしていた右手も震えていたのではないだろうか。
「絶対に終わらせてはいけない!」と頭の中で、小さくて少し声の高いもう一人の僕が叫んでいた。
覚悟が決まった。絶対に新しいエレガント人生を終わらせない。不幸中の幸いだろうか、祥子は一年という猶予をくれていた。そこから僕たちは、とにかく話し合った。芸人であれば目指すべきとされる、「テレビで売れる」や「賞レースで結果を残す」という目標に惑わされないよう、エレガント人生として進むべき道に焦点を当てることにした。“できる”ことと“できない”ことを見つめ直し、譲れないものが何かをあぁでもないこうでもないとぶつけ合い、ひとつずつ行動に移した。
それから、徐々に結果が出始めた。認知度を上げるかつ自分たちの好きな笑いを表現するために始めたYouTube『エレガント人生チャンネル』のおかげで、ファンと呼べる方がひとり、またひとりと増えていった。頭を抱えるほど人気が無かったトリオ時代には考えられないようなお仕事もいただけるようになってきた。
あの“絶望のサイゼリヤ”から一年後。祥子は辞めちゃうどころかニコニコ楽しそうにお笑いをやっていた。これよりも大切なことなんてあるだろうか、いやない。それを見て僕は、心底ホッとしたのである。
芸人は、というより恐らくどんな仕事にも、“辞める”ことを覚悟するほど心身が削られる瞬間がある。それに耐え、乗り越えていった先輩方の姿は本当にカッコよく、最高に眩しい。だけど僕は、それがエレガント人生を終わらせてしまう可能性があるのなら、思い切って避けてもいいと思っている。その代わり僕たちが選ぶ道に必要な努力は惜しまないし、その過程にあるしんどい経験とは全力で戦う。
「祥子が楽しそう」と、さも子を見守る保護者かのように前述したが、僕も同様にエレガント人生でいることが楽しくて仕方ないのだ。だって、気が付けばあれほど望んでいた単独ライブを満席の会場でできるようになったし、憧れだった小説の出版もできた。エッセイの連載も、「いつかできたらいいね」と鳥貴族でよくメガ金麦を片手に祥子と話していた。きっとこの先も、エレガント人生は想像を超える楽しい方向に僕を導いてくれる気がしている。
ところで、前回祥子が「悠ちゃんが変わっていたらどうしよう」と心配していた『おじいちゃんおばあちゃんになっても単独ライブや動画でみんなに笑ってもらう』という目標であるが、もちろん今でも僕の中に強くある。相変わらず、単独ライブでご飯が食べられるような芸人になりたい。
だけど、最近それは“エレガント人生として”ということが大前提だと気が付いた。どうやら僕は、エレガント人生としてつくるお笑いが大好きなようだ。
お笑いコンビというのは、きっとすごく脆い。いつ何がきっかけで終わりを迎えるかわからない。まだまだ芸歴的にはひよっこながら、そう感じることが何度もあった。事件事故に巻き込まれたり、ひょんなことからどちらかの心身が壊れたりしてしまうかもしれない。僕はそういう可能性を少しでも排除して、エレガント人生を守りたい。
そういうわけで僕の夢は、『できるだけ長く祥子とエレガント人生でいること』である。いわゆる芸人らしからぬ夢ではあるが、そもそもが『ドラえもん』から始まった夢だ。多少異質であっても、気にせず楽しんで邁進していきたいと感じる今日この頃である。
なぁ祥子よ。日常を綴るエッセイと銘打っておきながら、二連続で夢について語るというのはちょっと飛ばしすぎかもしれないね。次回は、最近食べたパンとかお菓子とか、そういう美味しい食べ物の話でも聞かせておくれよ。
※次回の更新は、1月16日(木)の予定です。