
あなたと私のエレガント人生
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エレガント人生(中込悠・山井祥子)
第8話 魅惑のゴロゴロみかんサワー(中込悠)
ほう、祥子はなかなか珍しいアルバイトを経験してきたんだなぁ。もしかすると、僕が今まで出会った数多の着ぐるみの中に、祥子が入っていたことがあったかもしれないね。
そして僕もたくさんアルバイトで失敗をしてきたゆえ、祥子の気持ちが非常によくわかる。例えば飲食店のアルバイトでは、チーズフォンデュ用のチーズをお客さんに提供する前に八割こぼしたこともあるし、赤ワインが入ったグラスをどういうわけか空中で割ったこともある。
アルバイトに限らず数えきれないほどの失敗を重ねてきた人生ではあるが、やはり布団の中で思い出して「ぐぬぁーっ!!」と声をあげてしまう種類のものとなると、“スベりすぎた瞬間”か“恋愛がらみの失態”あたりになってくる。あまりどちらも人様に晒したくないものではあるが、特にスベッた記憶についてはここに記したところで改めて文章でスベってしまうだけなので、今回は消去法で恋愛の失敗について書かせていただこう。
あれは大学三年生、齢二十一の頃。僕は同じ学科になんだか気になる人がいた。
何か特別なきっかけがあったわけではないが、講義室などで見かけるとなんとなく目で追ってしまう、そんな存在。遊んだことはおろか、話したことすらない。だが、会話をせずとも伝わってくる“小悪魔的”雰囲気に僕はジリジリと惹きつけられていた。
呆れられることを承知で書くが、当時の僕はよく「手のひらで転がされるような恋愛がしたい」と青いセリフをこぼしていた。追われるよりも追いかけたい、愛されるよりも愛したい。若さが僕に、振り回されることを望ませたのである。
要するにその人は、手のひらで転がしてくれそうな危うい魅力を放っていた。もう少し具体的にイメージしたい方のために補足をすると、僕は当時好きな芸能人を聞かれた際は必ず吉高由里子さんと返していて、つまりそういうことなのだがなんとなくおわかりいただけるだろうか? ちなみに彼女のことは便宜上、以下Kちゃんとさせていただく。もちろんKOAKUMAのKだ。
「私Kちゃんと友達だから、今度何人かで一緒に飲みに行く?」
そんなびっくり仰天の提案を受けたのは、ある日同じゼミの女子と恋バナをしていた時のことだった。僕は二度見ならぬ二度聞きをした。
「ぇ? ……うぇ?」
「うん、じゃあ連絡してみるよ!」
待って待って? すっごいスピード感。彼女のことは以下SPEEDのSとした方が良さそうだ。とにかく、もうこうなると早い。あれよあれよと話が進み、Kちゃんと飲みに行けることが決まった。
ウキウキ、ワクワク、ドキドキ、ビクビク。様々な感情に胸を動かされる落ち着かない数週間を過ごした後、その日はやって来た。夏が本気を覗かせ始めた、蒸し暑い日だったと記憶している。朝、僕は実家の全身鏡の前で洋服たちと格闘していた。「うーん、これだと気合い入ってる感が出過ぎるし、かと言ってこれはシンプル過ぎる。ファッションは足し算、引き算……」などとぶつぶつ呟きながら様々なコーディネートを試し、結局無地のTシャツに奇麗めなスラックス、そこにちょっとしたスパイスを加えて大学へと出発した。
その日の講義は、一言一句余すことなく頭に入らなかった。大目に見てほしい。十八時には気になるKちゃんとの飲み会が待っているのだ。終始上の空で日中を過ごし、十八時の少し前に、一緒に参加する男メンバーの元へ向かった。
どうやらSは「うちのゼミの男たちと飲もうよ!」とKちゃんを誘ってくれていたようで、僕の他にもう一人、ゼミの男子が参加することになっていた。彼はゼミイチのお洒落男子で、僕の洋服愛は実のところ彼の影響もかなり大きい。もうみなさんもわかっていると思うが、OSYAREな彼のことは以下Oとする。
合流するなり、Oは僕を見て吹き出した。
「ちょ、え? なにそれ?」
Oの視線の先に目をやる。僕の右手首だ。
「え、なんでヘアゴムつけてんの?」
そう、彼が言う通り僕は右手首にヘアゴムを装着していた。さっき書いていた“ちょっとしたスパイス”の正体である。当時の僕が何を考えてそうするに至ったかは定かでないが、恐らくシルバーやゴールドといったアクセサリーを身につける勇気が無かったのだろう。そんな中で選ばれた足し算が、きっと“ヘアゴム”だったのだ。もちろん長髪の男子が手首にヘアゴムを付けていても何も問題はないが、僕は気持ちいいくらいのベリーショートだった。
「ねぇ? なんでヘアゴム?」
僕は自分の文章にあまり「w」を用いたくないのだが、Oの問い方は完全に
「ねぇwwwなんでヘアゴムwwwwwwww」だった。辛い。今の僕であればそれを忠告と受け取りその場で即ヘアゴムを外すだろうが、その時は若さゆえのプライドか、言われて外すのもカッコ悪い気がしてしまい、そのまま会場の居酒屋へと向かうことになった。
KちゃんとSは先にお店に到着していた。
その姿を捉えた瞬間、さっきまでOにヘアゴムをイジられたことなど忘れて、しっかり緊張した。気になるあの人が、目の前にいる。簡単な挨拶を済ませ席に着くやいなや、隣のOがKちゃんに向かって言った。
「見て!こいつ髪短いのにヘアゴムしてんの」
もちろん「見てwwこいつwww髪短いのにwwwwヘアゴムしてんのwwwwwwwww」である。いや、勘弁して? 俺言っておいたよね? Kちゃんのこと気になってるんだよ? 心の中では鬼の形相でOに詰め寄っていたものの、実際の僕は「おぉい、やめろぉ会って早々ぅ」とヘラヘラすることしかできなかった。あぁ、これはKちゃんも確実に引いてる。向かいに座っているKちゃんの顔を見ることができず俯いていると、
「え? 別にそんなに変じゃないじゃん」
思いもよらぬ言葉が僕の後頭部に舞い降りてきた。今、なんて? ゆっくり顔を上げる。
キョトンとした顔でKちゃんが僕の右手首を見ている。その目にはまるで悪意が感じられない。あぁ、そうか。この人きっと、天使なんだ……よし! パチンっとスイッチが入るのを感じた。今日は絶対この天使を、Kちゃんを楽しませる。そして、仲良くなる!
そこから飲み会は、バッチリ盛り上がらなかった。
それもそのはず。そもそもこちら三人が同じゼミ所属であるのに対し、Kちゃんだけ違うゼミという彼女にとってアウェーな状況であることに加え、三人のうち一人はヘアゴムを装着しながら鼻息荒く空回りしているのだ。楽しめるはずがない。
同じような境遇を経験した者ならわかると思うが、こういう時は頑張れば頑張るほど沼にハマっていく。飲み会開始から一時間も経過した頃には、もう首元くらいまで沼に埋まっていた。
あぁ、何喋ろう。沈黙をつくっちゃだめだ。話題、話題。話のタネになる何かを探して視線を動かす。うーん、とりあえず……
「Kちゃんの、そ、それ、ゴロゴロみかんサワー? 美味しそうだね」
やだ、気持ち悪い。言った直後に自分でわかった。ブクブクブク。口元まで沼に埋まり息が苦しい。もうダメ、帰りたい。
ところがここで、Kちゃんから思いもよらぬ言葉が返ってくる。
「うん、美味しいよ! ひとつあげる」
……え? ヒトツアゲル? その言葉の意味を理解するより早く、ストローに乗った“ゴロゴロみかん”が僕の目前に現れた。
「はい、どうぞ!」
こ、これは。いわゆる「あーん」のやつだ。僕は恐る恐る口を開き、そのゴロゴロみかんをいただいた。後の二人も「え、いきなり何!?ふーっ!」となにやらテンションが上がっている。だがもちろん、一番ブチ上がってしまったのは僕だ。
あぁ、まだこの試合は終わっていなかったんだ。意外とKちゃんは楽しんでくれていたのかもしれない。だって「あーん」だよ? 嫌いな人に「あーん」する? 否、するわけないよ。さすが小悪魔、面白くしてくれるじゃん? よーし……そうとわかればここらで一発、小気味いいエピソードトークでもかましたりますか!
完全に舞い上がっていた。
完全に調子に乗っていた。
みんなも薄々察しているだろう。こういう時は大抵、良くないことが起こる。
「この前、満員電車に乗ってた時の話なんだけどさぁ」
ゴトッ。
「目の前に立ってたおじさ……」
「ちょっ!お前なにしてんの!?」
隣のOが僕のエピソードトークを遮る。おいおい、何を邪魔してくれて……あぁっ!
ビールこぼしてる!
僕のグラス!倒れて!ビール!全部!こぼれてる!
Kちゃんに向かって!!
そう。浮かれた僕は、前のめりかつ身振り手振りが大きくなり、まだ半分以上残っていたビールをKちゃんに向かってぶちまけてしまったのだ。
「うわ、ごめん!まじごめん!大丈夫!?」
「全然大丈夫!ほとんどかかってない。私こういうのめっちゃよけるの早いから!」
Kちゃんは最後まで優しかった。こういうのめっちゃよけるの早いという謎の嘘までついて、僕が気にしないように振る舞ってくれた。だが、僕の心はそこで完全に折れてしまった。実際、それ以降のことはほとんど思い出すことができない。恐らく人間の自己防衛本能のようなものが働き辛い記憶が薄くなっているのだろう。だがなんにせよ、僕のせいで全員にとって後味の悪い飲み会になったことは疑う余地がない。
この恋が、以降どうなったかについては、あまり追及しないでいただきたい。続きが無いことも無いのだが、それはまた機会があれば綴らせてもらおう。
とにかくあの飲み会のことは、久しぶりに思い出しても心がキュッとなった。青春と呼ぶには光が足りない、苦々しい記憶である。
なぁ祥子。『失敗について』というネガティブな話題が続いてしまったから、ここらでポジティブなお話をしておこうよ。そうだなぁ……僕たちの単独ライブが少しずつ近づいているし、次回は『今年の単独ライブに向ける想いや情熱』について書いてもらうことはできるかい? 頼んだよ。
※次回の更新は、イレギュラーとなりますが7月5日(土)の予定です。