
あなたと私のエレガント人生
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エレガント人生(中込悠・山井祥子)
第1話 扱いづらい人でありたい(山井祥子)
暑くもなく、寒くもない季節。つまり秋か春。
天気がいいと公園で読書をしたくなる。地味な趣味だという自覚はある。公園での読書なんて、おばあさんが散歩の一環でしていそうな行為だ。別におばあさんっぽくても特に問題はないのだが、さすがに30歳の私におばあさんは早すぎる気がする。もしこれで私の鞄の中からアルミホイルに包んだおにぎりや、仁丹でも出てきたら“おばあさん確定“なので、些細な抵抗としてカフェで購入したラテを持っていくようにしている。それも季節限定のとか、塩キャラメルのとか、おいしくてオシャレな見た目のもの。調子がいい日はホットドッグを購入する事さえある。そうなるとおばあさんというよりニューヨーカーという感じがするし、散歩というよりピクニックの方がしっくりくる。つまり私は“ピクニック好きのニューヨーカー”なのだ。
「アラサー女が、平日の昼下がりに公園で読書をしてもいいのだろうか?しかも1人で」
ある日のピクニック中、こんな疑問が頭に浮かんだ。もし同世代の女性が公園に行くとしたら、子供と遊ぶため——という理由が大半だろう。もしくは会社の昼休みに菓子パンをかじりに行くかだ。少なくともニューヨーカーなどと自称し、腐りかけのベンチに座ってニヤついているような異常者は私の他にいないはずである。
少々落ち込みそうになったが、しばらく思考を巡らせたあとに「まぁ、芸人だしな……」という考えに落ち着いた。だがすぐに「芸人だしな……って言えるほど“芸人”っぽくないよなぁ」と思い直した。
私が組んでいるコンビ「エレガント人生」は毎日YouTubeにコント動画を載せている。小説の執筆や各種メディアへの出演など、様々な種類の仕事をいただくが、毎日かかさずやっている仕事は動画制作のみだ。制作時間はコントの内容によって異なり、1日潰れる事もあれば、午前中に全て終わる事もある。
先述した趣味の時間は、動画が早く作れた時にだけ生じるボーナスタイムの中で行っている。ボーナスタイムと言っても単独ライブが迫っていればネタ作りの時間、企業とのタイアップ動画があればその台本を書く時間に充てるので、そういう時はすぐに夜を迎えてしまう。だから私にとってのピクニックは、動画制作が早く終わった上に、なんの締め切りにも追われていないという条件が揃った時にだけ味わえる、贅沢で特別な時間なのだ。
吉本興業の場合、若手芸人は劇場に所属するのが一般的だ。幾多のライブに出演しながら腕を磨き、賞レースの決勝やTV番組といった華やかな世界を目指すのが王道なのである。売れっ子芸人になるためにはそのステップが必要不可欠といっても過言じゃない。みんなが“芸人”と聞いて想像する“芸人”は恐らく彼らの未来の姿を指すのだろう。
かつては私も劇場で活動していた。しかし、芸歴を重ねる内に目指すものが変わってきたので、離れる事にしたのだ。私も相方も「毎日TVに出演するような爆裂売れっ子芸人になりたい!」という願望がなくなったのである。今の私たちの夢は“互いがシワシワの老人になるまで誰かにコントを披露する事”。もしくは“精神の健康を保ちながら楽しく生きる事”だ。私の趣味同様、ひどく地味な夢だ。二つ目の夢なんて雑誌『クロワッサン』の表紙にそのまま載っていそうな文言である。実際私が『クロワッサン』の読者なので少々引っ張られているのかもしれない。
夢を叶えるために必要な事には全力で挑みたい。だから本当に必要な事を炙り出すために取捨選択をして今の活動方法に行き着いたのだが、そんな我々に対して「怠け者だ!芸人はもっと汗をかかないとダメだぞ!」と叱る人がいる。
私達は決して怠けているわけではない。地味に見えるかもしれないが大切な夢があって、それを叶えるための作戦を綿密に練って実行しているだけだ。怒られるようなことは何一つしていない。あえて表で見せる事はないが、それなりに色々やっているつもりだし、なにより“頑張っている感じだけ出して、実際は頑張っていない人”よりマシではないだろうか。
肉食動物がいれば、草食動物だっている。芸人にだっていろんな特性があっていいはずだ。芸人の世界こそ多様性を認めてほしいと思うのだが、やはり長年に渡って培われたイメージを、そう簡単に消し去る事はできないのだろう。
ここまで書いていて、私が上記のような話を人に話した時に「あんまりそういう事を言っていると“扱いづらい人“になっちゃうよ」と助言された事を思い出した。
今、私は声を大にして言いたい。とっくの昔から“扱いづらい人”だ、と。
そして自らそれを望んでいるという事を。
売れない芸人ほど扱いづらいものはない。芸人になる前からそんな事は想像できていた。しかし「友人や家族からどんな目で見られようと関係ない!」と意気込み、大学2年生の頃私はNSCという名の養成所に入学した。
だが大学四年を迎えた頃、その強い決心が揺らぐ瞬間があった。必死にES(エントリーシート)を書いている友人達を見ている内に、不安な気持ちに襲われるようになったのである。ESの代わりに漫才の台本を書いて気を紛らわせようとしたが、友人がどんどん内定をもらっているのを目の当たりにして、暗い気持ちはどんどん膨らんでいった。
「このまま就活しなかったら私、普通じゃなくなっちゃうんだ」
それは今までに味わった事がない種類の恐怖だった。“普通“を外れる恐怖心は日に日に大きくなっていき、私を就活サイトに登録させるに至った。利用する予定もないのに登録したのである。ほんの少しでいいから普通の世界に触れていたかったのだ。
就活サイトに登録しただけで少々の安堵感を覚えた単純な私は「もしあと1年以内に売れる兆しがなかったら、芸人を辞めて就活を始めよう!」と心に決めた。
実際にその後の1年で兆しがあったかどうか——今考えると“なかった”のだが、本心では芸人でいる事を望んでいた私は、ちょっとした兆しを逐一脳に刻み、“あった”という事にして素知らぬ顔で芸人を続けたのであった。
こうして芸人として生きる道を選んだ私は、大学卒業から時間が経つにつれて、一般的な職を得た同級生とご飯を食べるのがしんどいと感じるようになった。どんどん“扱いづらい人”になっていってしまっていたからである。私がバイトをせずに暮らせるようになったのはつい4年前の事で、それまでは絵に描いたような“うだつがあがらない芸人”だったのだ。
幸い実家が東京にあるので、住む家や家族のサポートはあったのだが、遊びに使えるお金は全ッ然なかった。だから、みんなが海外旅行に行ったとか、どこそこの高級ディナーを食べた……といった話をした後に「祥子は最近どこか行った?」と振られると冷や汗が出た。笹塚の鳥貴族で酒を飲むのにも苦労しているなんて、とても言えない。仕事の話になった流れで「最近お笑いの調子どう?」と聞かれるのもイヤだった。給料なんてほとんどないのに、芸人活動をみんなの仕事と同列で語れるわけがないじゃない。でも何も答えないのは変なので、まったく成果をあげられていないという現状を渋々説明すると、友人たちは決まって、顔を曇らせた。そして何かしらの言葉でフォローした後、急いで別の話題に切り替えるのだった。それが一番ツラかった。触れちゃいけない話題になっている事が。
エレガント人生として徐々に成果をあげられるようになった今、やっと友人間の『扱いづらい人』を卒業できた。だが結婚も出産もしていないし、その兆しもないので、そういう方面の話題が出ると、また“扱いづらい人”になるわけである。(それに関しては異論を唱えたいが今回は割愛させていただく)
よく“扱いづらい人”になりがちな私だが、そんな自分のことが結構好きだったりする。
普通を望んでいる人間は芸人になどならないし、なったとしても王道を目指していると思う。無論ピクニックへも行かないだろう。捻くれ者なのか変わり者なのか分からないが、自分の意思に従って生きてきた結果がこれなのだから仕方ない。芸人っぽくない芸人、上等じゃないか。せっかく妙な人生を選んだのだ。楽しみ尽くしたい。
さて、次回の担当は相方の悠ちゃんだ。文中で“私たちの夢”なんて言っちゃったけど、悠ちゃんの夢が変わっていたらどうしよう。
だからこれからの目標とか夢について語ってください。よろしく!!
※次回の更新は、12月19日(木)の予定です。