あなたと私のエレガント人生

エレガント人生(中込悠・山井祥子)

第6話 どうにも気になるお客さん(中込悠)

渋いおじさんとの淡い思い出が詰まったオルゴール、素敵だね。

これからは僕も読者のみなさんも、『いとしのエリー』を聴く度に会ったこともないそのおじさんに想いを馳せるんだろうなぁ。どうか今もどこかで、元気に謎の何かを売っていますように。

 

さぁさぁ、今回のテーマは『印象に残っている買い物』ということであるが……お買い物の話は前回お届けしたばかりだ。さすがに二連続で僕がアヒル口になりながらレジに走る様を綴るのは気が引ける。

 

ということで祥子よ。少し視点を変えて、僕が“店員”として経験した『印象に残っている買い物』のお話をさせていただいてもいいだろうか? 残念ながら答えを待っている時間はないので、させていただこう。

 

その昔、コンビニで夜勤のアルバイトをしていたことがあった。夜勤を選択していた理由はいわゆる若手芸人によくある「日中の急なライブやオーディションに対応できるように」というものだったのだが、ある時ふと「人間は、なるべく夜は寝た方がいい」という当たり前のことに気付いてしまったため、働いた期間としてはやや短く半年程度だったと記憶している。

 

コンビニ夜勤経験者にはわかってもらえると思うが、深夜のコンビニという場所はなかなか不思議な、いろいろとマイルドに言えば“趣深い”お客さんが恐らく日中よりも訪れがちである。だから、短期間かつ十年近く前のことであるにも関わらず、印象に残っているお客さんは少なくない。

 

例えば、品出しする僕をじっと見つめて「お兄さん、左肩辺り痛いでしょ? やめてよ、私そういうのもらっちゃうのよ、イテテテ……」と僕の肩痛を言い当てるに留まらず持っていった“超超能力マダム”だったり、レジを打つ僕に向かって突然「オメェはよぉ! ほんっとによぉ! なんていうか……ほんっとに……その……低学歴がよぉぉ!」と歯切れ悪く罵ってきた“シンプル怖おじ”だったり。

 

他にもたくさん刺激的なお客さんと相まみえたが、その中でもひときわ僕の脳裏に焼き付いて離れないおじさんがいる。

 

それが今回の主人公、『お茶さん』だ。

 

お茶さんは、決まって深夜四時ごろに来店した。

小柄で白髪混じりのグレイヘアが似合うその人は、一目で「この人は敵ではない」と感じられる穏やかな雰囲気を醸し出していた。お茶さんは店に入るといつもゆったりした足取りで、しかし他には目もくれずまっすぐパック飲料のコーナーへ向かう。

そして、ニコニコと朗らかな笑顔で『お茶』と書かれた一リットルの紙パックを持ってレジにやってくる。

 

二本。必ず、二本の『お茶』を持って。

 

既にお気づきかもしれないが、“お茶さん”というのはもちろん彼の本名ではない。本名は知らないし、一店員だった僕には知りえない。なんとなく“加藤さん”っぽいなぁと思っていたが、今考えると完全に加藤茶さんに引っ張られていただけだろう。毎回必ずお茶を買うから“お茶さん”。常連さんに心の中であだ名をつけてしまうという、コンビニ店員あるあるのアレだ。

 

とにかくお茶さんは、季節問わず来る日も来る日も必ず二本、紙パックの『お茶』を購入していった。僕がシフトに入るのは(他のアルバイトと掛け持ちしていたため)週三程度だったのだが、何曜日に入っても必ずお茶さんに会えたので要するにほぼ毎日来店していたのだと思う。

 

そんな彼のことが、僕は気になって仕方なかった。だって、紙パックの大きい方かつ同じ種類を二本買う人って、けっこう珍しいのだ。それを毎日である。

「ものすごく喉が乾くのかなぁ」とか「お茶が好きすぎるのかなぁ」とか「ジャスミン茶やウーロン茶ではダメなのかなぁ」とか、おでんやらあんまん肉まんの仕込みをしながら気がつくとお茶さんのことを考えていた。

きっと僕が「このお茶好きなんですか?」と聞けば、(多分)優しいお茶さんは包み隠さず真相を話してくれたに違いない。しかし当時の僕はなぜか、「聞いたら負け」だと容易に真実へと辿り着くことを拒んだ。

 

そしてお茶さんと出会って四ヶ月ほど経った頃。

僕がお茶さんに売った『お茶』が累計百本を超えるか超えないかくらいのそのタイミングで、図らずも彼の『お茶』にかける本当の想いを知ることになる。

 

その日もお茶さんは深夜四時ごろ、入店を知らせるチャイムとともに現れた。

ゆっくりと、しかし迷いの無い足取りでパック飲料のコーナーへ進んでいく。

いつもと同じ。静寂で物憂げな気配漂う深夜のコンビニに訪れる、ささやかな癒しの時間。

 

いつも通り、笑顔のお茶さんが『お茶』を二本持ってレジへと向かってく……

 

ん?

 

一本だ。

一本しか持っていない。

 

僕は自分の目を疑った。しかし何度見直しても、お茶さんは紙パックを右手に一本掴んでいるのみである。

 

「お願いしまーす」

 

レジの向こうで混乱する僕のことなどお構いなしに、たった一本の『お茶』を差し出すお茶さん。震える手でスキャナーを握る僕。落ち着け。そういうこともある。スキャナーを『お茶』のバーコードへと近づ……

 

ん?

 

よく見ると、いつもの紙パックと色が違う。動揺しながら商品名を確認する。

 

 

 

 

『濃いお茶』

 

 

 

 

濃い…お茶…?

『濃いお茶』とは、まさに文字通り『お茶』よりも“濃い”お茶である。『お茶』の横にひっそりと置かれていた、販売数は多くないながらもコアなファンをつけていた商品だ。

 

え? いいの? 水分量的に二本必要だったんじゃないの? 『お茶』の味が好きだったんじゃないの? 『濃いお茶』一本は、『お茶』二本に取って代わるの?

 

次から次へと溢れ出る疑問を処理できないまま、お会計を打ち込む。

落ち着け。冷静に考えろ。水分量ではない。味ではない。濃ければ一本で済む。なんだ、どういうことだ。……はっ!

 

 

カテキンだ。

 

 

間違いない。お茶さんはカテキンの総量でお茶を選んでいる。そう考えれば全て辻褄が合う。何がきっかけで『濃いお茶』に切り替えようと決意したのかはわからないが、とにかく同量のカテキンさえ摂取できれば問題ないのだ。

 

「ありがとうございました!」

 

店を去るお茶さん、いや、濃いお茶さんの背中に、僕はいつもより少し大きな声で挨拶を投げかけた。そうだ、あの人は新しい一歩を踏み出したんだ。いくつになっても変わることを恐れない彼に、僕なりのエールを送った。

 

それから程なくして僕はコンビニバイトを卒業することになったが、それまでの期間もお茶さんは『濃いお茶』一本を買い続けた。現在どこで何をされているかはもちろんわからないが、カテキン効果で元気にしてくれていたらうれしい。

 

祥子と連続しておじさんがテーマになってしまったので、次回はもう少しこのエッセイに爽やかな風が吹くことを願う。

 

ところで祥子は、心に残る『アルバイトの思い出』ってある?楽しかったことでも辛かったことでも、もしくは「こんなアルバイトしたかったなぁ」なんていう妄想の話でもいいから、聞かせてよ。



※次回の更新は、5月15日(木)の予定です。